ハワイ日記2001年1月
1月1日
21世紀の幕開けは、5時起きの少々二日酔い気味で始まった。
相変わらずコナウィンドが強い。
6時過ぎに家を出て、年越しカウントダウンライブを終えて、メンバー達と初日の出を見に来るミュージシャンの友人達と待ち合わせの予定だった。
ハナウマ湾を過ぎると、各展望台には初日の出を見ようとする人達の車が多かった。
待ち合わせのサンディービーチに着くと、既に多くの車が止まっていて、私はナンとか良いポジションに潜り込んだ。
東に向けてテイルを付け、観音開きのリアドアを開け放し、バックスペースにラグを引いて転がる。
少し離れたトラックでは、ローカル達がギターを弾いている。
白み始めた空の中で、東の海上に大きな雲が広がっているのが見えた。
隣の車にはカップルがいたが日本語で会話をしている。
目の前の、ナウパカの繁る狭いビーチには、日本人の大学生グループと見られる一団がキャンプ用のテーブルなどを出して鍋を暖めている。
と、大型バスが2台乗り付け、日本人のグループが降りてきた。
なんだか状況が落ち着かなくなってきた頃、海上には大きなクルーズ船も現れた。
この時点で友人と出会う事は諦めていた。
まさかこんなに人が多いとは思わなかったのだ。
結局雲は切れず、日の出の7時9分を迎えた。
7時半頃まで待っていたバスの団体も、時間切れでサンディービーチを後にした。
緩やかな南風に雲はさらに厚くなり、日の光が見えるまで相当時間がかかりそうな状況になり、ローカル達が車を出し始めた。
いつもの様に朝を楽しむカージナルの家族が飛びまわりだし、西の端のビーチでは新世紀早々の結婚式をしているカップルが見えたが、私は一人で初日の出を拝むのは諦めて家路に着いた。
今日は結局薄日が何度か差したものの、曇りがちで夜からはシャワーになった。
そして夜はやはりマキキに住む友人の家で、新年会となった。
20歳を過ぎた頃から、半年先が読めない人生をずっと送ってきた。
この半年前と今の状況で一番違うのは、このサイトしかない。
さらに半年後、一体どう言う状況になるのだろうか。
人生は面白い。
1月2日
昨日の夜は友人の家で「紅白歌合戦」を見ていたのだが、ハワイには日本語を放送するテレビ曲がある。
KIKUと言う局は、日本語だけでは無く、いわゆるインターナショナルチャンネルで、主にアジア地域の放送をしている。
平日の朝晩には半日遅れのニュース(スーパーニュース)をやっていて、これは私も一応毎日チェックはしている。
夜には時代劇やトレンディドラマなども、日本から半年ほど遅れて放送している。
これはほとんど見ない。
バラエティー系も少しあるのだが、「そこが知りたい」なんて、日本でもとっくに終わってしまった番組を何度も流している。
古すぎて、本来の情報番組としては機能していない。
いつ見ても、前に何度か見た内容なのだが、時々初めて見るのがあると驚く。
何度もと言えば、「あばれんぼう将軍」も何故かず~っと同じエピソードばかりだった。
最近「ニューエピソード!」なんて宣伝してたかな。
KIKUの日本語放送にはほとんど、英語の字幕が付く。
時代劇の訳なんか見てると、凄い直訳で笑ってしまうが、時には良い勉強にもなる。
勿論これは、親や祖父母の世代は日本語が得意だが、英語がファースト・ランゲージになっている若い世代と一緒に団欒を過ごせる為である。
ニュース以外はほとんど見ないのだが、たまに、日本にいた時にも見た事が無い、「渡る世間は鬼ばかり」なんて見てしまうことがある。
ああ言う典型的な日本の家族像は、私には勉強になる事がある。
大晦日では無く元旦のスペシャルとして、録画の上にコマーシャルまで入ってしまう「紅白歌合戦」は、ピンクレディーとアリスに感激してしまったが、なんだか演歌にも心に染みる物があるなぁと再認識してしまった。
久しぶりに日本酒を飲んだ。
1月3日
風が弱い。
日本ではまだ三が日だが、アメリカでは2日からほぼ平常に戻るので、お正月気分はもう無い。
今日は直接現地に行く(ドライブ・アウト)のスカイダイブのお客さんがいた他、明日以降のツアーを予約されているお客さんがハワイに入られるので、スタンバイモード。
郵便局に行ったり、Hair Cutに行ったり、車を洗ったりして、夜はWAI WAIの鍋会に出た。
日本からのご家族や、これから一年の予定でハワイのホテルで研修が始まると言う方、ハワイ初めてで5週間の予定で滞在中の方なども来ていて盛りあがったが、明日からはツアーが始まるので、早めに切り上げて帰ってきた。
このWAI WAIのパーティーはポット・ラックと言って、お酒やおつまみなどを持ち寄るのだが、今日私が持って行った、チビRitzのチーズサンドは、日本では大箱入りが無いそうで驚いた。
美味しいのに・・・。
1月4日
21世紀最初のツアーはビーチピクニックだった。
今日のお客さんはハワイもダイアモンドヘッドクラブも3回目で、今回はご家族の結婚式の為にハワイに来られ、そのご両人も交えての家族ツアー。
前回はベロウズにお連れしているので、今回はLike Likeハイウェイを通ってカイルアビーチに行った。
朝のカイルアはまだ人も少なく、ライフガードの近くで、お気に入りのアイアンツリーの下に陣を取った。
相変わらず風が無く、カイルアとは思えないほど海が静かだった。
当然カイトサーフィンやウィンドサーフィンの姿も見えない。
しかし、亀も顔を出すのどかな雰囲気も時間が経つにつれて賑やかになってきた。
学校によってはまだ休みの所もあるらしく、子供を連れた地元のお母さんや、アメリカ人観光客も現れてきた。
お弁当のジップ・パックを食べ終える頃には日本人観光客も増え、私としてはちょっと落ち着かなくなってきた。
緩やかなコナ・ウィンドがカイルアの上に雲を作りだし、少し肌寒さも覚えるようになったので早めにビーチを切り上げて、帰りは海沿いの観光にした。
マカプウでは、消防車にレスキュー隊のヘリコプター、報道のヘリまで飛んで物々しい雰囲気だったが、岬の裏のほうに飛んで行ってしまって何が起きたかわからなかった。
サンディービーチに出ると南のコナ・ウィンドが直接吹きつけ、蒸し暑くなってきた。
その後ダイアモンドヘッドクレーターの中をご案内したのだが、別に登るつもりは無い。
しかし登山口の看板の前で写真でも撮ろうと言う事になり、近づくと、今までそのあたりを掃除していた若い女性が、入場料を払わないと看板には近づけないと言う。
首から関係者のサインがぶら下がっている。
看板の前3メートルくらいのところにロープが張ってあるだけで、横を回ればすぐそこなのに、ロープから先は1ドルだと言う。
とてもアン・ハワイアンな事に悲しくなったが、ロープの手前で並んでいただき、少し遠めに看板を入れて撮影をした。
ここは登山口で写真だけ撮る人がたくさんいるのに、これは1ドル徴収する事より酷い。
気を取り直して最後にタンタラスの丘に登った。
展望台まで登れば風も涼しくなる。
ご両人は明日挙式だそうだ。
1月5日
今日のノースショア・ツアーは、こちらのご愛読者の方だった。
東京バナナを頂いた。
朝からワイキキはピーカン。
しかしまだ風が無く、ノースはどうだろうかと少し心配した。
しかし今年も晴れ男のパワーは効いている様で、パイナップル畑を過ぎるとハレイワ沖の大波が青空の下にはっきりと見えた。
昨日まではノースの波もそれほど大きくなってはいなかったと言う情報があったので、風の戻らない今日もまだまだかと思っていたが、ハレイワには6フィートを越える波が入っていた。
しかしその割にサーファーが少ない。
と言う事は、もっと状態の良いポイントがあると言う事で、早速移動。
カメハメハ・ハイウェイを北上し、ラニア・ケア、ワイメア、そしてサンセット・ビーチまで来ると波は10フィートを越えていた。
しばらくサンセット・ビーチでゴロゴロしてもらい、波に乗っているサーファーより、ワイプ・アウト(波に巻かれる)する冒険野郎達を見ていた。
その後ハレイワに戻って一時解散。
私はL&Lでミニ・マヒマヒ・プレート。
冬の花では無いのだが、この時期に目立つのは真っ赤なアフリカン・チューリップである。
H-1フリーウェイ沿いには黄色いのもあるが、大抵は真っ赤で、その名の通りチューリップの様な形をしているが木に咲く。
冬にはこれからコーラル・ツリーと言う、やはり真っ赤な花が増えてくる。
夜はお客さんから誘われて、ミニオフ会となった。
今年はこんなオフ会が増えそうだ。
1月6日
ハワイカイ方面はラジオの受信しにくい場所なのだが、カイルアにメイン・ステーションを持つKRTR(96.3)だけはクリアに入る。
この局はアダルト・コンテンポラリー&イージーリスニングの曲を流しているが、週末の朝だけハワイアンミュージックを特集する番組がある。
以前この番組を担当していたフランク・ビーは、今ではハワイアンミュージック専門のFM局KINE(105.1)の平日の朝のDJをしている。
実は彼、カピオラニ公園の先、サンスーシーに住んでいるのだが、昔私がバイトをしていたカイマナビーチ・ホテル内のカイマナ・ギャラリーによく顔を出していた。
ギャラリーのオーナーでもあった私の叔父と親交があった為で、カイマナ・ビーチでカヤックが趣味だったのだ。
私がハワイに来たばかりで知り合いも少ない時、仕事で日本に行っていた叔父の代わりに店番をしていて、私しかいないのを知っていて現れた事があった。
丁度クリスマス前だったのだが、バスケットに入ったクッキーを私にプレゼントしてくれた。
それまでに2,3回しか会った事の無いコトンク(アメリカ本土から来た日本人)にも見せてくれたアロハ・スピリッツ。
カイムキ・ハイスクール出身のローカル・ハウリ(ハワイ生まれの白人)は、私にハワイの人の気質を教えてくれた。
今では大変な有名人になり、カヤックをする暇があるのかもわからないが、ラジオから流れてくる彼の声を聞く度に、私はアロハ・スピリッツを出せる場を探してしまう。
1月7日
3週間ぶりに乗馬のツアー。
お正月は2日からずっと忙しかったのだそうだが、今日は3組10名。
ハワイカイに入り、マウナルア・ベイがガラスの様に輝いているのが見えた。
今日も風が無い。
今日は先にハナウマ湾シュノーケル。
スキューバやスヌーバのインストラクターも、最近は風が無いので海が穏やかになり、透明度が上がってコンディションが良いと言っていた。
ランチの準備の為に久しぶりに牧場に行くと、
ワイマナロの海もとても静かで綺麗だった。
マカが柱で爪研ぎしてた。
最高のコンディションのハナウマ湾で遊んできたお客さんを迎えて、BBQを焼き上げる。
今日も大好評。
やはり久しぶりにモミに飛び乗り乗馬の説明。
お客さんがトレイルに入っていってから、スペースチェアに座ると今度はマカが私の膝に飛び乗ってきた。
お客さんが帰ってくるまで、30分以上ずっとマカとじゃれながらクジラが見えないか探したが、今日はちょっとバイブレーションが合わなかったようだ。
乗馬の方も皆さん喜んで頂けて、帰りも、H-1フリーウェイのカピオラニ・オフランプが工事中だと聞いていたが、渋滞が始まる前にはワイキキにドロップできた。
一度家に帰ってカバンを下ろし、再びアラモアナのヨットハーバーに向かった。
ノリちゃんが仲間とヨットセイリングに出るのに合流した。
4時過ぎに出港し、風の少ない穏やかな海の上を夕陽を浴びながらワイキキ沖に向かった。
5時を過ぎても、ケエヒ・ラグーンのパラセイリングが見えた。
風が弱いので時間がかかっているのだろうか。
夕陽を浴びてワイキキのホテルやダイアモンドヘッドがとても美しかった。
そして最後は絵葉書のようなサンセットを見る事が出来た。
気持ちの良い一日だった。
1月8日
今日もピーカンの中、窓全開でワイマナロまで乗馬のツアー。
日本では成人の日の祝日でも、ハワイにいる人は少なく、お客さんは2人だけだった。
しかしどちらも、10回目を過ぎてからは数えていないと言う超リピーターで、ハナウマ湾は昔散々行ったから要らないと言う乗馬とBBQオンリーだった。
小さいながらも形の良い波が上がるダイアモンドヘッド沖を見下ろしつつ、ダイアモンドヘッド・ロードを進み、カハラを抜けるが、この時点で既に今まで通った事が無い場所があったそうだ。
ツアー会社やガイドによって通る道は様々なので、私も忙しい時はフリーウェイを使う事を説明したが、ワイマナロまでのドライブ中の私の案内が今までのガイドと違っていた様で、オアフ島の魅力も再認識されていたようだった。
今度は是非島一周に参加したいと言ってくださった。
隣島のツアーにはほとんど行ったが、オアフはワイキキ周辺しか知らないそうで、実はこう言う方は結構多い。
マカプウ沖ではクジラが3頭並んで潮を吹いていた。
1月9日
久しぶりにトレード・ウィンドが出てきて、雲が多かった。シャワーもあった。
今頃になってようやく家のカレンダーを換えた。
狭いアパートだがオフィス用以外に4つもあり、12月から用意はしていたのに何故かタイミングを無くし、それを全て取り替えた。
全てハワイのカレンダーで、毎年趣向は変えているが、写真ものが多い。
今年はオアフ島、ハワイ島、カウアイ島の写真のカレンダーと、スージー・アンダーソンと言うローカル画家のハワイの絵のカレンダー。
今月はオアフのカネオヘ沖の空撮写真、ビッグアイランドのアカカ・フォールズ、カウアイのワイルア・フォールズ、そして海と空と椰子の木に
カヌーを引きずった跡の残る白いビーチの絵が私の部屋を飾った。
1月10日
アラモアナ・ビーチパークに行った。
コーラルツリーの花が満開でとても綺麗だった。
コーラルツリーはこの時期の花として有名で、真っ赤で鷹の爪のような花を、葉のほとんど落ちた木に咲かせる。
この花に集まる虫目当てで、マイナ・バードが集まってくる。
少し雲があったので、ブラブラしながら写真を撮っていたが、いつのまにか晴れ渡って暑くなってきたので、海に飛び込んだ。
遅くなった今年の初泳ぎだったが、適度に水は冷たくて気持ちが良かった。
夜はWAI WAI HAWAIIの鍋会に出た。
10数名と少なめだったが、すき焼きは美味しかった。
1月11日
今日はご家族連れとサークルアイランド。
朝から快晴。
「ハワイの歩き方」掲示板を見ていらしてくださったお客さんは、「じゅにー」を女性と勘違いしていらしたそうだ。
最初のサンディービーチはなかなかサイズの良い波が出ていて、ブギーボーダー達が朝日を浴びて波乗りを楽しんでいた。
マカプウに回ると海はすっかり穏やかになり、透き通った海にお客さん達も感激されていた。
ベロウズビーチで出したグアバジュースも大好評。
曙のお母さんのお店では、Tシャツにサインをしてもらい、一緒に写真も取って大喜び。
ジャニスさんに、「今場所は曙はどうしたの?」と聞いたら、「先場所優勝したからちょっとお休みね」との事だった。
クアロアパークでは、私が説明する植物の話しを熱心に聞かれていた。
サンセットビーチでは6フィートほどの波が出ていた。
ハレイワ・アリイビーチで海を見ながら昼食。
町の散策に移動しようとすると、サーフボードを持った日本人の青年2人に声をかけられた。
なんでもサーフィン中にレンタカーのカギを海に落としてしまい、タクシーを呼ぶ方法は無いかと言う事である。
ハレイワまで果してタクシーが来てくれるか疑問だったが、「The Cab」のディスパッチに電話して状況を説明すると、30分以上はかかるが来てくれるとのことだった。
裸のまま心配そうにしていた二人にグアバジュースを差し入れてあげて、我々はハレイワの町に移動した。
最後はドールによってワイキキに戻った。
お客さんを降ろしてから、明日からの撮影の仕事の打ち合わせをモアナサーフライダーでして、郵便局に寄ったりしていたら夕方になった。
家に帰ると綺麗な夕焼けが待っていた。
1月12日
今日からまた撮影の仕事。
JALの「リゾッチャでハワイに行こう!」のキャンペーンCM。
ちなみに大阪、名古屋、福岡そして北海道で2月の5日から9日まで夜の帯でちょっとずつ放送予定。
今日は朝空港でスタッフをお迎えして、ハワイプリンスにチェックイン後、マジックアイランドでファミリー・バーベキュープランの撮影。
朝は少し雲が出ていたのだがお昼前から陽が出てきた。
一度ホテルで打ち合わせの後、ロイヤル・ハワイアンホテルのマイタイ・バーでサンセット・カクテルの撮影。
サンセットはとても綺麗だったが、久しぶりに行ったワイキキビーチは相変わらずの混雑で、食わえタバコで歩いてるオッサンはいるし、ビール飲みながら歩いてる若造もいて、なんだか可哀想になった。
夜ご飯はスタッフみんなでアラモアナの北に去年出来た日本食「大亀」に行った。
まあ美味しかったが、出てくるのが遅くて関西方面のスタッフはじれていた。
この仕事は今年で3度目だが、毎年綺麗なモデルさんが2人来るのが楽しみ。
今年もとっても可愛い。
撮影は15日までの予定。
1月13日
撮影2日目。
今日の1発目はダイアモンドヘッドの山登り。
バイク&ハイクと言うプランで、ワイキキの動物園横にあるハンズ・ヒーデマン・サーフショップからバイク(自転車)で出発するシーンからのスタート。
クイーンズ・ビーチ沿いでの撮影中にシャワーが来て、綺麗な虹が見えた。
ダイアモンドヘッド・ルックアウト、トライアングル・パークと続けて、クレーターの内部へ。
雨上がりで陽が差してきたので湿度の上がる中、機材を抱えて山登り。
ダイアモンドヘッドに登るのは半年振りくらいだったが、やはりいつでも混んでいる。
このバイク&ハイクの撮影には、ショップのオーナーで、もとサーフィンの世界チャンプのハンズさんも同行した。
午後はゴルフコース体験プランで、ハワイカイ・ゴルフコースに行った。
途中のカラニアナオレ・ハイウェイは、土曜だと言うのに凄い渋滞。
水道局とガス会社のトラックを交えての大工事中。
どうやら、どこかのパイプが地下で壊れてしまって、緊急工事のようだった。
夕陽がココ・クレーターに隠れるまで撮影は続き、予定より2時間ほど遅れて終了。
ディナーは総勢14名のスタッフで、ハワイプリンス横のチャート・ハウス。
週末と言う事もあってとても混んでいた。
ここのシーフードは美味しい。
1月14日
今日は朝から天気が良かった。
撮影3日目午前中はワイキキでのロケ。
クヒオ・ビーチ、カラカウアの歩道、ロイヤル・ハワイアンホテルの中庭などでフラダンスの体験プランやワイキキ散策のシーンを撮影。
スタッフ、機材などの移動はあるが、何しろワイキキでは路上駐車が厳しい。
私はロケ現場にモデルさんや重たい機材などを運ぶと、連絡用に使っているトランシーバーの届く範囲で駐車スペースを探し、ラジオでハワイアンを聞きながら待機の時間が多かった。
午後はワイケレ・プレミアム・アウトレットでのショッピング風景の撮影。
陽差が強かったので、私はモデルさん達の日傘持ち。
結構イイ仕事。
店の中での撮影をしている間、店外で荷物番をしていると、俳優の保坂尚輝さんが奥さんと子供を連れて歩いていた。
実は昨日、モデルさんに私と保坂尚輝さんの眼が似てると言われ、その時は誰だか全然思い出せなかったのだが、今日一緒に荷物番をしていた、私と同じアシスタント・コーディネーターのNさんが教えてくれて、日系放送のドラマに出ていたのを思いだしたのだ。
凄い偶然。
ワイケレは今、オーキッド(ラン)の花がほぼ満開で、パーキング・ロットは薄紫色に染まっていた。
相変わらず風が弱かったが、夜には貿易風が少し上がってきて、部屋の中は夜風が気持ち良かった。
1月15日
撮影4日目。天気は朝から良かった。
朝はホテル前のアラワイ・ヨットハーバーでのイメージ撮影。
その後ホテルのプールに移動してプールの撮影と、午後に予定されているシュノーケリングのシーンの撮影の為に、私がインストラクターとなってシュノーケルやフィンの使い方を教えた。
第1候補のカへ・ビーチ(西側、コオリナの先)は波が出ていてコンディションが悪く、行ってすぐに引き返し、アラモアナのマジックアイランドへ。
今日はマーチンルーサー・キングJr.誕生日の祝日の為、ビーチはとても混んでいた。
最初は浅瀬でシュノーケルをしながら、陸上からの撮影。
続いて防波堤の表に出たが、やはりうねりがあった。
波も時々3フィート以上に上がり、私はモデルさん達のアシストの為、手を掴んで流されない様にするのに必死だった。
15分ほどの水中撮影の後、今度は防波堤の内側に戻るのがまた一苦労だった。
潮の引きが強い上、波があるので防波堤に叩きつけられ無いようにしながら、岩を掴んで少しずつ進み、内側に戻った時にはモデルさん達も私もすっかり息が上がっていた。
しかも途中で掴んだ岩にウニがいて、岩にぶつけられて出来た傷も含めて手足からは血が噴出していた。
一度ホテルに戻って、モデルさん達が着替えた後、再びアラワイ・ヨットハーバーとマジックアイランドで夕陽を使ったシーンを撮影して終了。
一度家に戻ってシャワーの後、撮影終了の打ち上げで、ワイキキのオハナ・イースト地下のステーキハウス、チャックス・セラーでプライム・リブを食べ、隣のPK(プリンセス・カイウラニ)のロビーバーで飲んだ。
1月16日
午前中は、昨日までの撮影の仕事ですっかりホコリだらけになった車の洗車、郵便局、買い物などで、午後は撮影スタッフのホテル移動のお手伝い。
スポンサー・テレビ局各社の方々は今朝帰国されたのだが、製作・技術スタッフとモデルさんは、予備日として後2日滞在する。
撮影は終了した為オフなのだが、2日間はワイキキ・エバホテルに宿泊する。
買い物がしたいという事で、カハラモールにお連れした。
一度解散の後、全員で居酒屋のんべいで夕食。
1月17日
撮影スタッフの一部を連れてスカイダイビングのツアー。
初挑戦のスカイダイビングで大興奮したスタッフをハレイワタウンにお連れして、クアアイナでハンバーガーを買ってアリイ・ビーチでランチ。
パイナップル畑から見えたノースの海は白い波の筋が幾つも見えて、今日もビッグウェーブに挑戦するサーファー達が見られるかと思ったのだが、海が荒れすぎていてビーチはクローズされていた。
ハレイワビーチがクローズされているのを見たのは初めてだった。
夕方一時解散。
郵便局に行くと日本からの小包が幾つか届いていた。
ビデオが数本あったのだが、こちらの愛読者の方が先日の「筋肉番付」のテープを送ってくださって、それを早速見た。
一瞬だが長嶋さんの後ろに、背の高いのがしっかり写っていた。
2年連続長嶋さんと共演である。
その他「電波少年・雷波少年」や「からくりテレビ」、さらには名古屋名物「さくら・ういろう」まで頂き大感激した。Big Mahalo!
夜は残っていたスタッフ全員でカパフルの「とっくり亭」。
その後はワイキキのクラブ「なかせ」のカラオケルーム。
久しぶりに私も歌ってしまった。
1960年代生まれのスタッフも数名いて、私の歌は一部でとても受けていた。
最終日という事で、宿泊先のエバホテルに戻ってからも部屋での飲み会に呼ばれ、1時過ぎまで飲んでいた。
1月18日
朝は残っていた撮影スタッフ、モデルさん達をホノルル空港までお見送り。
H-1フリーウェイは今、あちこちで朱色のアフリカン・チューリップの花が見られる。
家に帰って洗濯などしながら溜まったメールの返事を書いたり、日本のビデオを見たりして、
夕方再びワイキキに出た。
一年半ほど前にYahooの掲示板で知り会って、メールを交換している若い友人が友達とハワイに遊びに来ているのだ。
ハワイで会うのは既に3回目。
お土産にたくさんの食料品を頂いた。
レトルトのカレーや、チャーハンの素、インスタント味噌汁、パスタソースなど、一人暮しを気遣ってのアイテムばかりで嬉しかった。
つかの間の再会の後、今度はマキキの近所の友人の家に行った。
すぐ近くから引っ越しをしたばかりで、新居を初めて見せてもらった。
ヒルトン・ハワイアンビレッジの花火がよく見えた。
最近は金曜で無くても上がる事があるが、今日はやけに長い時間花火が上がっていた。
ヒルトンではIT関連のビジネスショーが開かれていると言う話しを聞いたので、そのバンケットに合わせているのかもしれない。
1月19日
久しぶりにゆっくりした一日だった。
日本から送ってもらったビデオの「雷波少年」で、熱狂的巨人ファンのジャイ子と共に再び泣いた。
ビデオが何本か溜まってから送ってくれるので、今頃優勝シーンが届いたのだ。
日本一は勿論、各試合の結果は全て知っていたが、ハワイでは巨人戦を直接見る事は出来ないので、特に感動のリーグ優勝の瞬間には涙が出た。
発達したアメリカのケーブルテレビの中でも、ハワイでは日本語専門のチャンネルが3つもあり、最近のドラマやバラエティー、子供向け番組や大相撲までやっているのだが、野球は無い。
NHKのニュースや大相撲は衛星生中継で日本と同時に放送されるのだが、日本で相撲の終わる夕方6時がハワイでは夜11時なので、夜のリラックスタイムに見られる。
しかし野球の場合は9時に終わっても、ハワイは夜中の2時で、確かに生では見にくい。
勿論ビデオがあるので、録画して次ぎの日に見れば良いのだが、相撲同様、日本以外にもファンの多い巨人戦などのプロ野球の試合を衛星やケーブルで放送してくれる日は一体いつになるのだろう。
1月20日
日本から遊びに来た幼馴染を連れて、ヨコハマ・ベイに行った。
いつのまにか、ビーチ・パーク内の道路が舗装されて綺麗になっていた。
ビッグ・アイランドやマウイには行った事のある友人も、オアフはやはりワイキキ周辺しか知らなかったようで、人のいないきれいなビーチに感激してくれた。
真正面に沈む真っ赤な夕陽を見てから街に戻った。
一度家に戻って、夕食はピエトロに行った。
少し時間をずらしたつもりだったが、土曜日という事で少し待たされた。
相変わらず、ロウ・ポテト・サラダは美味しい。
その後Timesでお酒を買って、昔の写真など見ながら家で一緒に飲んだ。
最高の時間を過ごせた。
1月21日
2週間ぶりに乗馬の仕事。
今日は社員旅行中の男性4人を牧場にお連れした。
今日も快晴。
カハラのワイアラエ・ゴルフコースではソニー・オープンの最終日で、ハイビスカスの垣根越しにも多くのギャラリーの姿が見えた。
牧場に着くと、朝からブタのプアちゃんが中庭を歩き回っていた。
まだ1歳になったばかりだと言うのに、1メートル以上もある大型犬のレアちゃんも出てきた。
彼女の両親で、お父さんのアインシュタインとお母さんのジーマが最近見えないと思っていたら、夫婦揃って無断外出が増えすぎ、これ以上牧場に置いておけないと言う事になって、他所に預けられてしまっているらしい。
調子良くBBQを焼き、お客さんが食べている間、年末年始に休暇を取っていて久しぶりに会ったインストラクターとアリーナのフェンスに寄りかかって話しをしていたら、モロカイと言う名の小柄な馬が近寄ってきた。
彼はちょっと噛みグセがあるのだが、やっぱり私の二の腕をカプリと齧った。
馬の歯は決して鋭くは無いので、手を食いちぎられるような心配は無いし、モロカイも単にじゃれているだけで、「あっち行け~!」と言うと少し離れるのだが、今日はなんだかとっても噛みたい様ですぐに戻ってまた噛んだ。
馬に腕を噛まれた時は、まっすぐに引き抜こうとしないで、腕をねじる様にするとすぐにはずれる。
歯型がつくわけではないが、唾液でびっしょり。
私の腕をニンジンと間違えたのかな。
1月22日
トレードウィンド(貿易風)が上がってきた。
2組のご夫婦を連れて、乗馬のツアー。
コレア牧場では、中庭の垣根の赤いハイビスカスが風に揺れていた。
この牧場のあるワイマナロは横綱曙の故郷なのだが、昨日の引退発表は新聞でも大きく取り上げられていた。
本当にご苦労様。
さて今日は猫のマカにすっかりじゃれ付かれた。
BBQの片付けも済んで、ハナウマ湾への出発までの間、ワイマナロの海を見下ろすスペースチェアで休憩していると、どこからとも無く現れて「ミャ~」と声をかけられた。
このスペースチェアと言うのは、ブランコのような釣り下がった形の椅子で、キャンバス地の袋のようになっている。
以前は牧場オフィスの入り口のすぐ横にあったのだが邪魔になり、オフィスの建物の軒下に下げられた。
入り口にはベンチがあるので、マカは以前はそこからチェアに飛び乗ってきていたのだが、軒下は飛び乗る事ができない様で、ひたすら私の下で「ミャ~」と叫んでいた。
手を伸ばしてマカを拾い上げ膝に乗せると、寛いでいる私のお腹や胸にゴロゴロと転がり、私の手を頭で突っつく。
「構ってくれェ~」のサイン。
普段はしばらく構ってると大人しくなるのだが、今日はなんだかずっとゴロゴロとされて、Tシャツが毛だらけになった。
家に帰るとき、セントルイス・ハイツに半分のダブル・レインボーがかかっていた。
1月23日
ハワイのスーパーマーケットには、メンバープライスと言うものがある。
ワイキキのフードパントリーやダイエーではこれは無いのだが、タイムス、セーフ・ウェイ、フード・ランドではそれぞれタイムス・ロイヤルカード、セーフウェイ・クラブカード、マイカイ・カードと言う物を発行していて、これを買い物の際にレジで提示すると規定の割引が受けられる。
商品棚に正規料金とメンバープライスが書いてあるものが対象商品となる。
このメンバーになるのに会費のようなものは無い。
しかし、住所が必要となるので短期の旅行では難しいが、コンドミニアムなどに宿泊する長期旅行、または留学の場合は是非とも持っていたいカードだ。
カスタマーサービスに行って、メンバーになりたい旨を伝えて、用紙に記入するだけ。
5年ほど前までは、ダイエーも含めて、スタンプを使っている所が多かった。
これは、買い物をすると値段に応じて切手のようなスタンプをくれ、それを貯めて台紙に張って買い物の際に現金と同じように使うことが出来るものだったのだが、最近はほとんど見かけなくなった。
手間が面倒だったので人気が無かったせいかもしれない。
ダイエーはこの二重料金を廃止していつでもお安い事を宣伝にしているが、店舗数が少なくいつでも混んでいるので、つい近場のスーパーで買い物をすることが多く、メンバー制は住民にはありがたい。
1月24日
新婚旅行のご夫婦を連れてサークルアイランドに行った。
天気はまずまず。
カラニアナオレ・ハイウェイはあちこちで、朱色のアフリカン・チューリップの花が目立っていた。
サンディー・ビーチは3フィートほどのショアブレイクが綺麗に出来ていて、ブギー・ボーダー達が朝から楽しそうに波と戯れていた。
ワイマナロではほとんど誰もいないビーチで、ラグを引いてグアバジュースをサービスする。
しばしの間新婚さん2人っきりにしてあげたのだが、青い海を見ながらどんな事を話していたのだろう。
クアロア・パークではコーラルツリーの花が満開で、見事だった。
同じ赤い頭のカージナル達が、ククイの木の上を飛びまわっていた。
サンセットビーチは波が小さく、サーファーも少なかった。
ワイメアでは、「飛びこみ岩」の説明をしていると若者が二人、岩に登ってきた。
夏場は波も無く水も遥かに透明で、私も飛び込んだ事があるのだが、冬は波があるので飛びこんだ後に岩に叩きつけられる可能性もあり、普段は人はいない。
確かに今日は波は小さいが、どうするのだろうと思ってお客さんと一緒に見守っていると、ドボンと2人とも飛びこんでしまった。
ローカルの様だったので、波のタイミングは図っていたのだと思うが、少し心配した。
ハレイワでお昼休憩の時、スカイダイビングセンターのY夫妻にL&Lの前で会った。
今日はもう仕事は終わったらしく、2人でハレイワにランチに来たと言うことだった。
ドールプランテーションでは、暇なシーズンにもかかわらず大型バスが数台止まっていた。
「農協」の団体旅行らしい。
お土産屋さんは忙しいそうだ。
夜はWAI WAIの鍋会に出た。
今晩は水炊きだった。
1月25日
昨日の鍋会でちょっと飲みすぎた。
日本酒飲みながらマニキュア塗ってたら結構酔った。
実は昔ネイルアートの学校にも通ったことがある。
そんな話しをちょっとしたら、何故かマニキュア塗る羽目になってた。
随分いい加減なネイルになってしまった様な気がするけど、酔っ払っててあんまり覚えていない。
今日は昼過ぎまで頭がフラフラしてた。
オアフ島の日本人ルートから回ってきたビデオを見ていたら、最近まで日本で放送されていたと言う「ALOHA」という番組が入っていた。
お馴染みの景色が写っていたが、知り合いや、見かけた事のある人も写っていた。
ガイドブックなど見ると大抵知り合いが何人か載っているのだが、ハワイはやはり狭い島だと言う事を実感する。
しかし最近はハワイから他所に引っ越して行く人、ハワイに引っ越してくる人などの話しが多く、周りが動き出すと、少なからず私にも影響が出る様な気がする。
風が少し涼しい。
1月26日
日本の友達から手紙がきた。
いまだにインターネットとは縁の無い彼女に電話をしてみると、東京は大雪だそうだ。
日本に3年と2ヶ月ほど帰っていない私が最後に雪を見たのは、実は丁度3年前のハワイでである。
先週までやっていたCMの撮影で、その年はハワイ島でロケがあり、マウナ・ケア山頂からのスター・ゲイジング・ツアーと言う、星を見に行くツアーの撮影に行った時のことだった。
4000メートルを越える山頂に雪が降っていたのではなく、積もった雪が残っていた程度だった。
ハワイに来て間もなくの頃、叔父と従兄弟達とハワイ島はヒロに遊びに行ったことがあった。
ヒロ・ベイで魚釣りなどしていると、捨てられた雪の小さな山があった。
マウナ・ケアかマウナ・ロアの上からトラックなどで運び出された物と思われたが、ホコリや泥を被り薄汚い雪の固まりだった。
ところがオアフ島の生まれで当時まだ小学生だった従兄弟達は、雪を見たのが初めてだった様で、大はしゃぎ。
私など触りたくも無いような薄汚い雪だったが、叔父の方は「これが雪と言う物だと思われたら嫌だなあ」と言っていたのを思い出す。
1月27日
ダイアモンドヘッドクラブのホームページのサーバーを管理しているのはLAなのだが、そこにホームページを置く事になったのは、一人の男との出会いからだった。
ちょうど一年前、Yahooの掲示板で(今は無き「環太平洋版:ハワイに住んでます」)何かの質問に答えたのがきっかけでメールをもらった。
ちなみにどんな質問だったか覚えていないが、LAに住んでいて、ハワイへの移住を希望していると言う事で、その辺りの違いなどだったのではないだろうか。
私もしばらくLAに住んでいたので、そんな所から親近感を覚えてメールをくれたとあった。
私としてもLAの雰囲気を知る友人が増えれば素晴らしいと思ったので、ハワイに移住する時の相談役を買って出た。
しかしインターネットの仕事をしている彼と出会って、色々アドバイスをもらったり、今では
サーバーを管理してもらっている大家さんだ。
メールやICQをした事はあったけれど、実際に会うのは初めてだった。
今回は引っ越しの下見を兼ねて来ていて、物件を探していた。
丁度引っ越しをする私の友人がいたので、必要な物は無いかと言うことで、お互いに話しが合い、引き会わせる事にした。
引っ越しをする友人の家にも興味があると言う事で、その近くで夕食を食べ、その後家を見に行った。
そこでビールなど飲みながら話しをしていると少し盛りあがったので、今度は私の家に招待してさらに盛りあがってしまった。
今回は来週半ばで一度LAに戻り、来月中に正式にハワイに引っ越してくると言うが、一度ナイトドライブに行ってみたいと言う話なので、是非実現させたい。
ちなみにLAから彼女と一緒です。
インターネットショッピングをダイアモンドヘッドクラブのホームページでちゃんとやりたいと思っていたのだが、実現に向けても大きく一歩踏み出しているし、新しい友人が出来た良い日だった。
1月28日
お客さんによく聞かれる事に、「何故昼間ライトを点けながら走っている車が多いのですか?」と言うのがある。
実は大半はレンタカーで、エンジンをかければヘッドライトが点く仕組みになっている。
これはローカルに対して、ローカルではないと言う印なのだが、ハワイの運転ルールが他とは違うのである。
まあ、スローペースなのは想像がつくと思うが、何しろ老人の多い州で、平均的な運転技術は恐ろしく低い。
そこで必然的に譲り合いの運転マナーが生まれたのだが、日本だけで無く、アメリカ本土でも大都市では運転が荒い。
ハワイで譲らない事は格好悪いことだ。
と言う訳でレンタカーにはライトをと言う事になった。
レンタカーは譲ってくれない。
なんとも情けない話しだが、狭い島で急ぐ必要はないと言う意味もある。
レンタカーだけではなく、メーカー毎に車種を限定して、「昼でもライトを点けよう!」運動を実施している物があり、トラックやRVにはレンタカーと同様にエンジンをかけるとライトが点く仕組みになっているものもある。
ツアーの仕事をして島中を走りまわっていると事故車などをよく見ますが、ほとんどがレンタカーです。
やはりハワイのペースは違うのです。
1月29日
コレア牧場には、ブルーと言う名の眼の青い馬がいる。
彼女はちゃんと別にオーナーがいるのだが、コレア牧場で世話をしている。
とても人懐っこく、柵に近づくと近寄ってきて頭を摺り寄せて来たりするのだが、今日は朝からそのブルーに肩を噛まれて、全然痛くはないのだが、シャツがヨダレだらけになって大変だった。
昨日までは暇だったと言う乗馬ツアーは、今日は2往復の忙しさで、BBQ担当のスタッフが出た。
私はワイキキ→ココマリーナ→ワイキキ→ワイマナロ→ココマリーナ→ワイマナロ→ワイキキ→ココマリーナ→ワイキキと言う、ドライバーデイ。
なんだか本格的に始まってしまったカラニアナオレ・ハイウェイの工事の中、ずっと運転していた気がする。
終わってからLAから来ている友達とキングSt.のKENSEIにしゃぶしゃぶを食べに行き、ナイトドライブのコースを回って、その後はまた一緒に飲んでしまった。
雨が多かった。
1月30日
昨年末に知り合った学生の友達に、ボランティアで会社の仕事を手伝ってもらった。
と言っても、ツアーの仕事ではなく、昨年分の書類の整理がメインだった。
日本からハワイに留学を始めて1ヵ月と少しで、やはり言葉の壁にぶつかっている様だ。
私もアメリカに住み始めた当時の事を思い出す。
最初に行ったアダルト・スクールでは、「銀行では」、「ガス・ステーションでは」と言ったシチュエイション毎に英語のレクチャーが行なわれ、その日から使える英語として大変役に立った。
その後倉庫でアルバイトをした時に、スラングを教わった。
汚い言葉とエッチな言葉は、日本の英語の授業では絶対に出てこなかった。
当時「ビバリーヒルズ・コップ」が上映されていて、エディー・マーフィーの英語に驚かされた物だ。
在米半年を過ぎ、この頃ようやく耳が慣れてきたようだった。
次ぎにレストランでドアボーイをしたのだが、高級別荘地にあるその店では、丁寧な英語を教わった。
ある程度の日常英会話が出来る様になるまでには結局一年かかったが、明確な丁寧語や尊敬語がない英語では、表現の仕方が重要だと言う事を覚えた。
一時はアメリカ人のガールフレンドがいた事もあったが、特定の友達との会話や、テレビなどから流れる英語だけでは、なかなか進歩はしない。
今のように日本人のお客さんを相手に仕事をしていれば、ほとんど英語を使わない日さえある。
テレビやラジオも日本語放送ばかり聞いていたら、耳も鈍くなる。
しかしアメリカに住んでいれば英語が必要な時は必ずあるし、何しろここの文化に入って行くには重要な道具である。
LAやハワイでは多くの人種がいるので、共通語としての英語を話せると言う事は、人付合いの幅が広がる事になるのである。
アメリカに住んでいる以上、英語はずっと勉強だと思っている。
ハワイではハワイ弁も随分覚えた。
ハワイ語の勉強もした。
やっぱり言葉は難しい。
1月31日
この所ツアーの方が暇で、ペーパーワークやホームページの更新(ハワイアンミュージックも更新)など、昼間オフィスにいる事が多い。
雨季の割にシャワーは少ないが、トレードウィンドは冬の冷たさがあり、一週間以上海にも入っていない。
一方夜は知人と会ったり、飲み会などが多い。
今日はWAI WAI HAWAIIの鍋会に行った。
日本から送って頂いた「筋肉番付」のビデオを持っていったらとても好評だった。
私が出てくる、つまり長嶋さんが出てくる最後の方までの内容で大分盛りあがっていたので、私自身が説明しないとわからないような一瞬の長島さんとの共演の場面でもとても受けた。
丁度半分の月が夜空にきれいだった。
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