2006年10月01日
マイクロフォン
LAでツアーガイドを始めた時、運転していた15人乗りの大型バンにはマイクロフォンが付いていて、これを使ってハリウッドやビバリー・ヒルズなどを案内していた。
しかし学生時代にバスケット部で鍛えられた元来声の大きな私は、マイクなんか使わなくても十分地声で後ろの席までしっかり伝えることが出来たのだが、当時はスーツを着て案内していたので、あんまり大声ばっかりも似合わなかった。
ハワイに来てTシャツに短パンスタイルでガイドを始めると、大型バンで大声出しても問題無くなったが、年齢と共に声の大きさも衰えてきたらしい。
最近ではミニバンでの案内がほとんどだが、私のツアーは冷房を使わないのが売りなので、窓を大きく開けているために風の音が私の声をさえぎってしまうことがある。
運転中は真後ろを向いてはしゃべれないので、後ろの席はどうしても説明が聞こえにくい時もある。
ツアー中にはガイドがしゃべり過ぎないように心がけてはいるが、サークルアイランドなどでは説明したい事が山盛りなので、どうしても大きな声でしゃべり続けてしまい、8月には喉を痛めたことが原因で風邪まで引いてしまった。
そこで私の愛車「太郎」にもマイクロフォンが付けられないか色々と検討していた。
カーオーディオなど扱っている店でアンプを買って取り付けてもらうことも考えたが、工事費を入れると結構な値段してしまう。
他の仕事などで時々別の車を運転するときにも使える物はないかと探したところ、ハンディタイプのメガホンが良いのではなかろうかという事になった。
ネットで検索すると、日本では色々売っているのだがハワイではなかなか見つけられなかった。
日本のは当然値段が高く、送料を考えたら馬鹿らしい。
それならばと、オークションサイトを当たってみた。
日本では「ヤフー・オークション(通称ヤフオク)」が有名だが、アメリカでは「イーベイ」。
するとなんだかちょうど良さそうなのが売りに出ていた。
しかも最初の値段は6ドル。
ちゃんと使えるのだろうか?と疑問にも思ったが、とりあえず7ドルで入札してみたら、そのまま落札。
よく見たら出品先は香港で、送料と保険を含めたら$30。
まあ$30でも安いことは安い。
それから2週間半。
ようやく届いた小包を開けてみると、「ニーハオ!」って感じで、説明書は漢字だらけでわかりませ〜ん!
箱の横も漢字。
しかしなんだか「ツアーガイドに」と書いてある様子。
こんなものが出てきて、単3乾電池を6本も入れると腰に巻いて使うにはちょっと重いが、車のヘッドレストの後ろに巻けばちょうど良いのではないだろうか。
今後は後ろの席までお客さんが乗る場合には、このマイクを使いたい。
マイクなので「マイケル」と命名!
2006年10月02日
バックナム
先日突然旧友から電話がかかってきた。
10年以上前、ハワイで一時期同じオプショナルツアー会社で働いていた仲間で、ほぼ同じ頃にその会社を辞めた後は、お互い音信不通になっていた。
今はツアー業界とは全く離れた世界に身を置く彼が、ネットサーフィンをしていて私の会社を見つけ、電話をくれたのだ。
聞くと私の家のすぐ近くに職場があり、是非会おうと言う話になって、昨晩キングST.のベトナムレストラン「バックナム」で待ち合わせた。
少し先に行き、そのままキッチンに入り込んで、オーナーシェフのキミーに挨拶。
「久しぶり!今日は何か良いのが入ってる?」
「オパカパカの良いのが入ったよ」
「イイねぇ。どうやって料理する?」
「ブラックビーンで炒めるのはどう?」
「それ美味しそう!後は夏巻きとシソ巻きと〜・・・」
「二人でしょ?後はライスで十分よ」
と言う事で先にメニューを決めた頃、友人も登場。
土曜と言う事で、徐々に混み始めた店はいつの間にか一杯。
最近はガイドブックにも載ったのか、日本人旅行者と思しきカップルが近くに座って、一生懸命メニューと睨めっこしていた。
これが女性同士だったら、「ここはこれとこれが美味しいよ〜(^o^)」なんて声でもかけるところだったが、男女二人の世界には余計なお世話は要らぬと思い自粛。
その後は私のアパートに移動して積もる話で盛り上がった。
模様替え
ブログの設定を少しいじって、「本家」の背景と同じ画像を持ってきて、少し模様替えをした。
過去の日記の雰囲気にも似てきた。
今日は雲が多かった。
2006年10月04日
CIコンボ
今日はハワイ歴は10回以上で、オアフ島1週にも何度か行ったことがあると言うダイアモンドヘッドクラブのリピータさんをご案内した。
昨晩から風が弱くなり、今朝も緩やかな風に伸びた雲が多かった。
週末のイベントの後片付けをしてるカピオラニ公園を抜けると、ダイアモンドヘッド・ロードに入り、売り出し中の家の看板の並ぶカハラを通ってカラニアナオレ・ハイウェイに合流。
ハナウマ湾を過ぎて紺碧の海を見下ろしながらサンディービーチに到着。
掃除したての綺麗なビーチには人が少なかった。
マカプウヘッドを回っても風はそれほど強くならず、ウィンドワードサイドにも雲は多かったが、雨の心配はなさそうだった。
ルックアウトから望むマカプウビーチにも人は少なかった。
ベロウズビーチにはスクールバスが止まっていて、小学生の団体がいた。
この団体は20人ほどのグループに分かれてそれぞれが全く違うアクティビティーをしていた。
先生らしきインストラクターの前に座って話を聞いてるグループもあれば、ドッジボールのような遊びをしているグループもいたり、ビーチで色々拾ってるグループもいた。
子供たちに木の実を全て拾われちゃわない内に私も早速採取開始。
トロピカルアーモンド、マングローブ、ククイを拾ってお客さんに説明。
トロピカルアーモンドは中のナッツを食べることが出来ると言うのは聞いたことがあるのだが、これがなかなか殻が開かなくて、実際私の周りでは食べたことがあると言う人がいなかった。
ビーチに転がっているのは既に炭化して、たまに殻が開いても中身は真っ黒になっている。
トロピカルアーモンドの生るフェールスカマニの木の下に落ちている実は拾っている人もいないので、開け方など聞いたこともなかった。
ところがお客さんが離島に遊びに行った時に、ローカルガイドが実際に開けて食べさせてくれたのだそうだ。
これは大変!
私の新たな挑戦が始まった・・・。
まあこれはそのうちに研究するとして、少しずつ上がってきたトレードウィンドを浴びながら東海岸をドライブ。
クアロアパークでチャイナマンズ・ハットを見て、カーアヴァでクラウチング・ライオンを見て、カハナ湾を回ってライオン・ヘッドを見て、さらに北上。
今日はカハナもプナルウもひっそりと静かだった。
ハワイ大の農業試験場を過ぎるとヴェルジーランドのポイントへ入っていくサーファーの車が数台止まっていた。
サンセットビーチは観光客がいたが、沖のサーファーの方が多かった。
水際まで近づいて透き通った海を見に行くと、我々の間をすり抜けて1匹の犬がそのまま海に入っていった。
近くを一泳ぎするとクールダウンして上がってきた。
なんだか羨ましかった。
ビーチの後ろではカメハメハ・ハイウェイを一車線通行にして椰子の木の剪定作業をしていた。
電線が近くてやりにくそうだったが、こう言う時こそ木登り職人の出番ではないのだろうか?
最近はサルの生まれ変わりのような職人による剪定作業をあまり見ない。
貸切のアリイビーチパークでランチの後、ドール・プランテーションに行ってからハレイワ・タウンに戻り、自由時間の後ラニアケアビーチに行った。
ビーチには上がっていなかったが、水際の岩の近くでウミガメが数頭餌を食べていた。
アンテナ付きの奴が海面からアンテナだけを出して動いている様はなんだか可笑しかった。
相変わらず雲は多かったが、最後に太陽が顔を出してくれることを願ってサンセットビーチに戻る。
日没の時間が近づくと空に少し色が出てきた。
結局太陽は出てこなかったが、日没時間を過ぎると夕焼けが現れた。
赤く染まる空を見ながら帰路に着く。
夜景を見ながらホノルルへ戻った。
2006年10月05日
ダイエー→ドンキ 9
さあいよいよダイエーがドンキホーテに変わる。
10月3日の午後10時をもってダイエーは閉店して、6日の朝まで改装工事のためにクローズしている。
「ミッドウィーク紙」がまず特集。
続いて「アイランドウィークリー紙」も特集をして、ドンキホーテUSAの社長になったスガヌマ氏のインタビューを載せている。
これらによると、食料品などは今まで通りで、その他の雑貨の幅を大きく増やすのだそうだ。
記事には「トイレットペーパからルイ・ヴィトンまで」とある。
日本のような床から天井までの「Compression display(圧縮陳列)」は消防法により不可能だが、「Treasure hunt(宝探し)」スタイルで楽しい雰囲気を作り、ポップ(値札)を手書き文字にして、BGMをドンキホーテのオリジナルにするらしい。
日本のドンキに行った事の無い私には想像が着かないが、日本の店舗ともまた違った雰囲気になるようだ。
6日のグランドオープニングにはドンペンは勿論、ジェイク・シマブクロもパフォーマンスをするらしい。
新しいチラシは見開きで大きく、ダイエーとイメージも違うが、
よーく見ると「Formerly Daiei(元ダイエー)」と言う文字もプリントされている。
だが同時にダイエーのチラシも入っていて、
セール期間は10月4日から10日となっている。
4日、5日はクローズだし、その後はもうダイエーじゃないのに、どー言うこと?
実際にダイエーに行ってみると、パーキングには大きなサイン。
カートは既にドンキに変わっていたが、
半分はまだダイエーのままだった。
入り口付近はデコレーションされて、ペンキを塗り直していたが、看板はまだ「ダイエー」。
しかし定点観測していた横の看板は既に「ドンキホーテ」に変わっていた。
2006年10月08日
ダイエー→ドンキ 最終章
10月6日、いよいよ「ドン・キホーテ」カヘカ支店のオープンである。
人ごみの嫌いな私はオープニング・イベントなどに興味はなかったのだが、夕方行うBBQで秋刀魚を仕入れる必要があったので、とりあえず出掛けてみる事にした。
カラカウア・アヴェニューからカヘカに近づくと、普段はない場所で渋滞が始まった。
一応ジェイクなどのイベント時間は終わったと思っていたのだが、この渋滞はドンキのパーキングまで続いていた。
あまりにも酷いようなら別の場所に行こうと思っていたのだが、パーキングに入っていくとタイミング良くスペースが空いたので車を止めた。
入り口の看板も変わり、風船などで飾り付けがされていた。
イベントは終わった様子。
カートやバスケットは全てはけていて人も混み合っていたが、入り口の花屋のYukiちゃんに聞くと、1時間ほど前までは身動きも出来ないほどの混み方で、今は大分空いてきたのだそうだ。
金曜とは言え、まだ日の高い午後にこれほど混み合うとは驚いたが、店内に入って、そのあまりの変貌振りには度肝を抜かれた。
元々ダイエーは天井が高かったが、半分くらいの高さの場所に井桁を張り巡らし、造花などでデコレーションをして、あえて天井を低くしていた。
生花、野菜、パン、冷凍食品、肉、魚、酒のセクション以外の店内中央部はすっかり迷路のようになって、まさにジャングル。
今までは野菜のコーナーに霧が降り掛けられる時だけ雷鳴が聞こえて、お客さんに合図を送っていたが、今度は店中で雷鳴や獣の鳴き声がこだましていた。
これがドンキのBGMなの?
確かに品数は増えた。
もうダイエーの面影はどこにもなく、吉祥寺のロジャース(ディスカウントショップ)がやってきてしまったようだ。
意図的に迷路のように仕切られた店内は、カートがすれ違うぎりぎりだったが、実際は人が多くてカートなんか押していられない状態。
今までハワイでは見なかった日本の小物、雑貨などが増えていたのは嬉しいし、時々探検に来て見たいとも思ったが、ダイエー時代に多かったシニアの客層に対してはこれが素直に受け入れられるかちょっと疑問。
これだけごちゃごちゃにしたのなら当然だが、万引き防止のためのセキュリティカメラが大量に天井からぶら下がっていたのも大きな変化。
ドンペン君のぬいぐるみもあちこちにディスプレイされていたが、袋に入れて販売されていたのはなぜか冷凍食品のコーナーだった。
大量の人できっと知り合いに会うだろうと思ったが、皆店内の様子に夢中だったし、ジャングルの中では見つかりにくいのかもしれない。
レジにも長い列が出来ていたが、秋刀魚だけの私はエクスプレスレーンからさっと出てきた。
袋もちゃんと新しくなっていた。
1時間ほどで店を出たが相変わらずパーキングは一杯で、普段はガラガラのアッパーデッキもこの通りだった。
私にとってはダイエー時代からの必要なものはちゃんと売っているし、近所に変わった店が出来たので嬉しい。
昔からハワイはキャラクター物が流行らない場所と聞いていたが、南国に現れたブルーのペンギンが一体これからどれくらい浸透していくのだろうか?
2006年10月09日
モクレイアのあっちゃん家にお泊り
モクレイアに住んでいる日本人スカイダイバーのあっちゃん&さとみちゃん(Y夫妻)の家は、ディリンハム飛行場からほんの1分ほどのところの椰子の木畑の向かい側で、ポロフィールドのすぐ近くにある。
私はノースでの仕事の合間に時間が出来ると時々遊びに行っているし、Y夫妻が街に用事がある時などには我が家にも遊びに来てもらっているが、モクレイアの家にはゲストルームがあるので泊まりにおいでと前々から誘われていた。
そこで新しいツアーの下見も兼ねて泊まりに行って来た。
ファーリントン・ハイウェイから入っていくと1000坪近いプロパティーがあり、この中にバケーションレンタルを含む、ハウスが6つほど建っていて、Y夫妻はこのうちの一つを借りている。
ビーチに面したエリアにはベンチなどのレクレーショナル施設がある。
一般のアクセスがないために事実上プライベートとなっている100メートルほどのビーチ。
実は今回の下見とは、前々から構想だけは持っていた「ムーンボーツアー」。
随分前に日記でも話題にしたが、ハワイでは月の明るい晩に、月光による虹が出ることがある。
これを「ナイト・レインボー」と呼んだり、「ムーンボー」と呼ぶ。
ハワイで生まれ育った人でもなかなか見ることのない貴重品なのだが、私は10年ほど前に1度だけ見たことがある。
ダイアモンドヘッドの麓、サンスーシーの海沿いから見て、アラモアナ方面にかけて出ていたのだが、初めは驚いた。
原理は昼間の虹と一緒なのだが、光量の弱い月明かりで虹を出すには満月かその近くに限定される。
虹が映る部分は当然シャワーが必要だが、そこに街明かりなど別の明かりが映っていては見えない。
モクレイアはほぼ東西に伸びていて、ワイアナエ山脈に沿ってシャワー・クラウドが動きやすく、街明かりもほとんどないのでムーンボーウォッチングには最適の場所なのである。
Y夫妻は既に4〜5回目撃しているそうで、やはり確立は高い。
それでも昼間の虹やダブルレインボーに比べると遥かに低く、ツアーにするには、見れなくても楽しめる要素が必要になる。
今の時点での計画では、昼頃ワイキキを出発してモクレイアに向かい、日のあるうちはビーチで遊んだりシュノーケルをしたり、魚釣りも出来そうなので楽しんでもらう。
サンセットタイムは夏場だと海に沈む夕日も見れるが、冬場はカエナ岬に沈んでいく。
先日はこんな感じだった。
そしてムーンボーを待ちながらBBQ。
今回は七輪を持っていって秋刀魚を焼いたが、日本からのお客さんの場合は普通に肉や野菜のBBQをしたい。
トレードウィンドが吹かず雲が多かったので、月が出るかも心配だったが、雲の間から時々満月が顔を出してくれた。
椰子の木のシルエットが濃くなる事もあったが、シャワーは現れず、結局今回はムーンボーは見れなかった。
虹は光源が高くなってしまうと地上からは見えなくなってしまうので、9時頃まで粘ってお終い。
ほぼ満月の日で、月の側には雲がなく、反対側にはシャワークラウドが必要と言う、厳しい条件だが、この近所のローカルの話では9回も見たことがあるのだそうだ。
ちなみにこの場所からで、グリーンフラッシュも3回も見たことがあると言う!
ムーンボーも、グリーンフラッシュも見れるかもしれないツアーと言うことで、ディープなハワイファンには人気が出るかもしれない。
仮に見えなくても、オアフ島の田舎の静かなビーチで遊んだり、BBQをしたり、楽しい時間が過ごせるのは確実。
来月にでももう一度試してみて、その後ツアーにしてみたい。
ツアーの場合は9時頃にモクレイアを出てワイキキには10時過ぎに戻ることになるが、月見の後は遅くまで飲んで、時々波の音だけが聞こえてくる中で1泊してきた。
朝のビーチはこんな感じ。
実はこのビーチは撮影などで利用することも多いそうで、結構有名な映画やテレビドラマでもロケに使ったそうだ。
またここのバケーションレンタルはアメリカ人が多く、かなり人気のようだが、今後こういったバケーションレンタルも紹介していきたい。
2006年10月11日
VOGGY WEATHER
先週末に弱くなったトレードウィンドはいまだに戻ってこず、西や南の緩やかな風が時より吹く程度。
昨日からは弱いコナウィンドが入ってきて、ホノルルはVOGに包まれている。
どんよりとして東京の空を思い出す。
昨晩はシャワーも多く大変蒸し暑かった。
今日も朝から何度かシャワーがあったが、太陽がほとんど顔を出していないので気温は上がらず、比較的過ごしやすい。
この天気は木曜頃までは続き、その後東の風が入ってくる予報が出ている。
2006年10月12日
「FROG HOUSE」
「FROG HOUSE」を直訳すれば「カエルの家」であるが、こう言う名前のレストランがある。
私の家から徒歩5分ほどの近くにある韓国レストランで、以前はカエルの絵が看板に書いてあり、カエル料理の店だとずっと思っていた。
最近この看板が綺麗になって、カエルの絵がなくなってしまった。
もしも本当にカエル料理の店なら、この絵を無くす筈は無いと思っていたら、どうやら普通の韓国料理の店だったのである。
昨晩、ここの常連の友人が連れて行ってくれた。
店に入ると案の定全て韓国語で、英語さえ見つからない。
LA時代から、韓国料理店はこのパターンが多く、英語が話せない店員ばっかりと言う店も少なくなかった。
配られたメニューを見ると、そこには英語も日本語も書いてあり少し安心。
ここは黒ヤギの鍋が美味いと言うことで早速注文すると、ぐつぐつと赤く煮えた黒ヤギに肉の上にはゴマの葉がたっぷり。
テーブルの上でゴマの葉がしんなりするまでさらに煮て、熱々を頂いた。
辛いものが苦手な私でも味覚を失うことなく、コラーゲンたっぷりの黒ヤギの肉は、豚肉をさらに柔らかくしたような食感でとても美味しかった。
最後に残った、ダシの出た残り汁にご飯を入れてオコゲ入りのオジヤにしてもらうと、これがまた美味!
この鍋はサイズが二つあり、オジヤは大きい鍋のみのサービスだそうだ。
ちなみに4人で食べてちょうど良いくらいのサイズ。
この店は韓国料理店にしては大変珍しく、MSG(味の素などの化学調味料)を使わないこだわりがあるのだそうだ。
確かに付け合せで出てくる多くの小皿も、少し味が薄め。
他のお客さんも店員さんもバリバリの韓国人ばかりで、ここの常連になるには大変そうだが、今度はまた他の料理も試してみたい。
2006年10月14日
「MINATO」
キングストリートからちょっと奥に入ったところに「MINATO」と言う日系レストランがある。
昨晩は友人とここに食事をしに行った。
ここは以前飲み屋さんがあったのだが、数年前にレストランに変わっていた。
友人の知り合いが働いていると言うことで行ったのだが、結局その知り合いには会えなかった。
このレストランは、店の名前と同じ「MINATO」と言うブランドでサラダドレッシングを販売していて、最近ではよく見かける。
私はこのドレッシングは食べたことは無かったし、ここにも一度も来た事は無かったのだが、レストランの料理は極々普通の日系食で、お客さんもほとんどが日系人だった。
前にも何度か書いたが、日本食と日系食は違う。
舌は日本人の私にはやはりちょっと物足りなかった。
ハウスメイドと言う揚げギョーザは、美味しかったかな。
マカプウハイク
緩やかなコナウィンドが吹き、日本の初夏を思わせるような湿度の高い日だったが、VOGは晴れて天気は良かった。
穏やかな海の向こうにうっすらとモロカイ、マウイが見えた。
歩き始めるとすぐに下りて来た数組のローカルとすれ違ったが、途中からは人が少なくなって、今日は全部で20名ほどだっただろうか。
展望台から見るウィンドワードサイドは少し靄がかかった感じだったが、ラビットは気持ち良さそうに泳いでいる感じだった。
白と赤のライトハウスも青い海に良く映えていた。
2006年10月15日
撮影
日曜日から久しぶりに撮影の仕事のお手伝いをする。
なんでもビジュアル系男性バンドのプロモの撮影だそうだ。
明日は朝、撮影隊を空港に迎えに行って、ロケハン。
明後日から数日が撮影になる。
拘束時間が長いので日記の更新がどれだけ出来るかわからないが、ロケであちこち行くので時間を見つけて写真は撮りたい。
今日はコーディネーターの打ち合わせで、マッカリーにある「ON ON」と言う中華料理屋に行った。
実はここも私の家のすぐ近くなのだが、つい先日トゥーゴーをするまでは一度も行った事が無かった。
トゥーゴーして食べたら結構美味しかったので、「中華でも食べながら打ち合わせを・・・」と言う話になった時に、私が薦めて中で食べた。
今日も緩やかなコナウィンドが吹き、空はうっすらと曇った感じだった。
2006年10月17日
地震
昨日の地震は驚いた。
朝が早かったので、もう出かける準備をしていたらグラリと来た。
13年間のハワイ生活では一番でかかった。
日本の震度なら「4」位だと思う。
壁際の小物が幾つか倒れた。
その後何度か余震が続き、30分ほどで電気が止まった。
撮影の仕事の初日で、空港も閉鎖されたりして大変だったが、これはまた後日詳しく書きます。
我が家に電機が戻ったのは昨晩11時ころ。
実は今日も早かったので既に寝ていたのだが、いきなり家中の電気がついて起きてしまった。
今朝パソコンを立ち上げると、大量のメールが届いていた。
皆さんにはすっかりご心配をおかけしてしまったようだが、とりあえず無事です。
連日12時間以上の仕事が続いているので、数日内には個別のメールと日記をアップします。
とりあえずこの場を借りて、無事のご連絡。(^o^)
2006年10月22日
10月15日:地震
朝5時半に起きると外は雨模様。
ニュースでは大雨洪水警報が出ていると言う。
シャワーを浴びて朝食後、出支度をしていると7時過ぎに突然グラリと来た。
日本の震度で言ったら「4」位だったと思う。
しかし13年間の私のハワイ生活では一番大きな揺れだったので、建物の耐震度が心配だった。
壁際の小物が倒れたり落ちたりしたので、とりあえずドアを開けた。
隣のチャイ君も心配そうに出てきていた。
直後はまだ電気がついていたが、30分ほどで停電した。
今日一緒に仕事をするKENさんから電話。
飛行機の到着時間はほぼ予定通りだが、空港も電気が止まっているので出てくるのには相当時間がかかるだろうと予測。
とりあえず空港に向かう。
日曜ということで道路は空いていたが、全ての信号が止まっていて、しかもポリスもまだ出動していなかったので、フリーウェイ以外はどこものろのろ運転だった。
車でラジオを聴くと、マグニチュード6.6の地震で震源はハワイ島の北西ということだが、ハワイ州ほぼ全ての島で電気が止まっているらしい。
ホノルルエアポートもクローズされているということで、近づいても飛行機の音がせず静か。
クローズされていると言っても、日本から来た飛行機を追い返すわけは無いから、状況を調べる必要がある。
まずは空港のパーキングに入れるかどうかも心配だったが、発券機のところには職員のおばちゃんが立っていて、「今日はマニュアルよ〜」と明るかった。
真っ暗な空港で状況を調べると、管制塔の電源もバックアップのみなので、日本からの便は1便ずつ時間をかけて下ろしていると言う。
米本土からの便は、半分まで来ていないものに関しては引き返させているらしい。
個人出口付近では、ウェディング会社のサッちゃんや「チャートハウス」のTaekoさんなど知り合いに会い、お互いに情報交換。
自動ドアが使えないので、普段は係員専用のドアが開放されて、薄暗いな税関が丸見え。
少しずつ日本からの便の乗客が出てくるのだが、我々の待つ便の撮影スタッフはまだまだ後の感じ。
そこで私は空港を一度出て買い出しに行くことになった。
何しろ停電のままでは食事も確保できるか分からないので、車に積んだアイスチェストに入れる氷と食料を探しに行った。
ラジオでは開いている店の名前を言っているが、どこも行列が出来ているらしい。
とりあえず空港近くのラグーンドライブにあるガスステーションの売店に行くと、やはり人は多かったが最後の氷を3袋ゲットすることが出来た。
ポテトチップやチョコレートバーなども仕入れ、さらに別のデリの店ではサンドイッチを作っていたのでこれも購入。
まあこんな軽食とおやつ程度では焼け石に水になるかもしれないが、何も無いよりはマシである。
8時半に到着予定だった便のスタッフが出てきたのは結局12時半。
3時間も飛行機の中で待たされたのだそうだ。
総勢11名のぐったりしたスタッフだったが、水とスナックで少し復活。
とりあえずホテルへ向かう。
ホテルも当然停電で、人で溢れたロビーも薄暗い。
チェックインは出来ないので、荷物だけ預けて2班に別れ、KENさんはプロデューサー、カメラマンなどとロケハンに、私はバンドメンバーとマネージャーと時間潰し。
と言ってもアラモアナSCもクローズだし、信号が付いていない状態で走り回るのは危険だし、メンバーもお疲れの様子なのでとりあえずマジックアイランドへ行った。
今回一緒に仕事をしたのはビジュアル系男性バンド「アリス九號(alice nine)」と言う。
皆20代の若いバンドだが、さすがビジュアル系、みなイケメン揃い。
正直私は聞いたことが無かったのだが、飛行機の中で一緒になってしまった修学旅行生からは握手を求められたり、ホテルのチェックインの際には外部からの電話を遮断したりと若い人には人気がある様だ。
ブログに名前を載せるのも、帰国後と言うことで了解をもらった。
ちなみにオフィシャルHPは
http://www.pscompany.co.jp/alicenine/
マジックアイランドでは散歩などするでもなく、ほとんど車の中で爆睡。
メンバーの何人かとは外でおしゃべりもした。
3時過ぎにホテルに戻っても、チェックインが長かった。
この頃にはもう携帯電話もほとんど繋がらず、KENさんとはトランシーバーでやり取りしたのだが、これがとても役に立った。
ジェネレーターで動いているエレベーターは一台だけで、セキュリティが人数を区切って乗せていたが、ほぼ各駅停車で本当に電車のように時間がかかった。
さて外が暗くなってきても電気は復旧せず、夕食の心配を始めたら、ホテル内の和食レストランが張り紙をして弁当を売り始めた。
ここはガスを使っていると言うので、焼き物に限りトゥーゴーで販売してくれたのだが、弁当が一つ$25・・・。
部屋に入っても結局真っ暗なのでロビーで食べた。
夜中までには復旧すると言う情報を頼りに、この日はこれで解散した。
大きな交差点にはポリスやシェリフが立って交通整理をしていたが、真っ暗な街の中を家に帰った。
9階まで階段を上がり、フラッシュライトの明かりの中で水道をチェックすると、なんとお湯が出た!
水も出ないところがあったと言う話も聞いたので、うちはラッキー。
暖かいシャワーを浴びることが出来た。
9時を過ぎるとワイキキとセントルイスハイツに電機が点いているのが見えた。
徐々に復旧しているようだったが私は暗いまま就寝。
11時頃に突然家中の電気が点いて驚いたが、これで明日からの撮影は安心した。
10月16日:サバイバルゲーム風
私はプロモーションビデオの撮影だと思っていたのだが、今回は写真集の撮影だった。
今日はサバイバルゲーム風の撮影と言うことで、朝7時半にワイキキを出発して、リケリケ・ハイウェイを通ってクアロア牧場へ向かった。
相変わらずトレードウィンドが吹かず、予報では雨だったが、うす曇のままだった。
しっかりとメイクをしたバンドメンバーたちは昨日とは違ってすっかり芸能人。
ジャングルの中や、ジュラシックパークのロケ地などで撮影。
牧場内のカフェでランチを食べてから、夕方は東海岸を南下してハナウマ湾近くのモロカイ・ルックアウトで撮影。
天気も次第に良くなってきた。
カメラマンの女性と話をすると、なんとKTのライブの写真も撮った事があるのだそうだ。
撮影の仕事の場合は夕食のお世話まですることが多いのだが、今回は打ち上げまでは各自で取ると言うことだったので、ホテルにスタッフを降ろして明日の打ち合わせの後、KENさんと「佐野屋」でディナーして終了。
10月17日:スーツ
午後からの撮影と言うことで、カパフルの「飲兵衛」でKENさんとランチを取ってからホテルにお迎え。
今日はバンドメンバーはびしっとスーツ姿で、まずはワイキキで撮影の後、マジックアイランドでレンタルしているロールスロイスを使っての撮影。
その後コオリナのパラダイス・コーブで夕日をバックにしての撮影。
この頃には私はすっかりバンドメンバーたちとも仲良くなって、2ショットで写真を撮らせてもらったり、おしゃべりしながら楽しく仕事をすることが出来た。
皆良い青年で、若さがなんだか羨ましかった。
コオリナの夕日も美しかった。
夜はKENさんと「稲葉」でディナー。
10月18日:ストリート風
今日はストリート風の撮影と言うことで、朝からダウンタウンへ。
その後ワイキキで最後の撮影をして終了。
移動の車内でハンバーガーのお勧めを聞かれていたので、ランチは「ジャック・イン・ザ・ボックス」でトゥーゴーして、ホテルに戻って一度解散。
午後は海で遊びたいと言うことで、カイマナビーチにバンドメンバーとマネージャーのS氏、カメラマンのI氏をお連れした。
夜はスタッフ皆揃って「とっくり亭」で打ち上げ。
10月19日:OFF
撮影の予備日だった今日はスタッフはオフになり、遊びの担当をすることになった。
お昼からバンドメンバーとマネージャーS氏をカポレイの「ハワイアン・ウォーターズ・アドベンチャー・パーク」へお連れした。
私も中に入って一緒に遊んでも良いよと言われていたが、溜まった仕事があったのでパーキングでオフィスワーク。
1時間半ほどで皆もう飽きて出てきたので、今度はヨコハマベイまで行った。
波浪注意報が出ていたビーチには豪快な音を立てて大きな波が崩れていたが、波打ち際で砂にまみれながら皆楽しそうにしばらく遊んでいた。
ワイキキに戻ってもまだ遊び足りなかったようで、再びカイマナビーチに行って日没過ぎまで遊び、その後はケアモクの「ゆっちゃん」に冷麺を食べに行った。
「ゆっちゃん」では矢田亜希子夫妻が家族と食事をしていた。
最後にワイキキでお土産の買いものという話だったが、皆疲れてしまったようで、ホテルに送って終了した。
10月20日:アリス九號帰国
朝ワイキキにスタッフを迎えに行って、ホノルルエアポートにお見送り。
いきなりの地震で始まった今回の仕事も、その後の天気などのタイミングはとても恵まれて、無事に終了。
「アリス九號」も皆とても気さくな連中で、これからも頑張って欲しい。
最後にCDももらってしまった。
ずっと戻ってこなかったトレードウィンドが夕方から吹き始めた。
2006年10月23日
アンティー・ジャン
ワイマナロの「SUMOコネクション」の店主で、元横綱・曙のママとして知られるアンティー・ジャンこと、ジャニス・ローウェンさんが17日未明に急逝された。
実はハワイではほとんどニュースにならず、私も日本の友人から聞かされ、日本の新聞のサイトで詳細を知ったのだ。
このところ体調を崩して入退院を繰り返していたのだが、最後に会った時には元気そうな様子だったので、とても驚いた。
帰化して日本人になった曙に対し、帰化してアメリカ人になった私に息子のように接してくれた、私にとってもハワイの母がいなくなってしまったのはとても寂しい。
フォスターチャイルドと言う養子を多く育て、かつては自分のフラ・ハラウも持ち、ワイマナロの名士だったアンティー・ジャンは、ビジネスにもとても積極的で、「SUMOコネクション」もしょっちゅう商品を入れ替えたり模様替えをしたりしていた。
「ビッグ・ママ」をブランド名にしてコーヒーやチョコレートの販売も始めたばっかりだった。
ダイアモンドヘッドクラブのネットショップではダントツの人気商品である「NONIフルーツレザー」もアンティー・ジャンから教わったものだったし、シルバー・アクセサリーもここで仕入れていたことがある。
アンティー・ジャンには「SUMOコネクション」のオリジナルのTシャツやタンクトップをいくつももらったし、私も店のウェブサイトの手伝いをしたり、PCを見てあげたこともあった。
何度か店で曙本人にも会ったことがあったが、やはりなんといってもあの店はアンティー・ジャンで持っていた店。
これからどうなるかが心配。
先週も店の近くまでは行く事はあったが、来週までは店には寄れそうも無いので、これから先の事はまだわからないが、いっそのこと曙本人が戻って来て店をテイクオーバーしないかなと思う。
お葬式は身内だけで行われるとのこと。
まだ60歳と若かったアンティー・ジャンのご冥福をお祈りいたします。
ベロウズ
ワイマナロへのビーチピクニック。
程好く上がってきたトレードウィンドが気持ち良い。
リクエストで、最初に「レナーズ」でマラサダを食べる。
カラニアナオレ・ハイウェイを東へ走り、少し白波の多い海を見下ろしながらココクレーターの麓を回り、サンディービーチを横目にしてマカプウヘッドを回り込む。
ウィンドワードサイドは少し雲があったが、海は綺麗な色を出していた。
「KENEKE'S」でサバ弁当を買ってベロウズビーチに入っていく。
昨晩か今朝雨が多かったのか、パーキングは濡れたアイアンツリーの葉が固まって、模様を作っていた。
高校生くらいのグループが何組かいたが、我々はビーチの真ん中に陣取って寛いだ。
弁当を食べた後、私も海に飛び込んだ。
今日は何のワーニングサインも無く、穏やかな海に浮かんで空を見上げると気持ちが良かった。
2006年10月25日
ネイチャーウォーク
ココクレーター植物園とマカプウヘッドをコンビネーションで歩いてきた。
サンディービーチで小休憩の後、ハワイカイ・ゴルフコースの横からクレーター内部に入っていくと、ゲートで珍しくセキュリティーのオジさんが座っていて、「そこにブローシュアがあるから自由に持て行ってね」と教えてくれた。
園内に入ると、花の数は少なくなったが色取り取りのプルメリアが迎えてくれた。
奥に行くとハイビスカス。
シェイマが何度も出て来て歌声を聞かせてくれた。
さらに進むと、月下美人が木に絡みつき、ちょっと不気味な美人になっているところがある。
ハワイには蛇はいないんだけどなぁ。
クレーターの内部にも時より風が吹きぬけ気持ちが良かった。
内部は幾つかのセクションに分かれている。
アフリカン・セクションには小さなカボチャのような実が生る木がある。
クレーター内をぐるりと回って、入り口のプルメリアの林の反対側を通ってゲートに戻る。
パーキングのすぐ横はゴルフコースのティーグラウンドがあるのだが、ちょうど日本人のグループがいて「ナイスショット〜!」などと叫んで移動していった。
ハワイの楽しみ方もそれぞれである。
我々はクイーンズゲートを抜けてマカプウヘッドに移動。
最初の直線は傾斜があって、しかも山の陰になって風が来ないので、山を歩いていると言う感じになるが、海沿いのコーナーに出ると一気に貿易風が吹いてくる。
風を浴びながらもう少し歩いて、通称「火曜サスペンス」で休憩。
崖から下を見下ろすと、小さな白波の立った海は青く輝いていた。
ペンシル・プラントの花にミツバチが群れていた。
そして相変わらず名前の分からない「怪しい奴」。
頂上展望台から見るウィンドワードサイドは、白い雲が多かった。
スパム結びを食べて下山して、サンディービーチに移動してからグアヴァジュースをごくりと飲んだ。
スポーツカイトが幾つも上がっていた。
2006年10月27日
サークルアイランド
予報では雨や雷雨のところもあったが、朝からよく晴れていた。
カラニアナオレ・ハイウェイを東へ走ると、ニウバレーの辺りではコオラウ山脈の上の雲が厚かったが、雨が降りそうな感じは無かった。
ハナウマ湾を過ぎてもモロカイ島は全然見えなかったのだが、朝の陽にサンディービーチは輝き、4フィートを超えるショアブレイクにはボディーサーファーが多かった。
マカプウにも5フィート以上の厚い波が入っていた。
ベロウズは相変わらず人も少なく、気持ちの良いトレードウィンドが吹きぬけるビーチで休憩。
その後「SUMOコネクション」に行くと、入り口に人だかりが出来ていた。
テレビカメラもいて、その先には曙本人が座っていた。
店の中はほとんど空っぽで、もう閉めてしまうのだそうだ。
「チャドが戻ってきてテイクオーバーしないの?」と、店員のローラに聞くと、曙の奥さんのクリスティンさんに「彼は日本で仕事があるから戻ってこないわ」と言われた。
曙は今日一日の特別サイン会をしていて、近所のローカルや観光客ともサインや写真撮影に応じていた。
アンティー・ジャンのお葬式は明日だそうだ。
とりあえずサークルアイランドツアーでの停車場所が一ヶ所減ってしまった・・・。
さて我々は次に進む。
ところどころに水溜りのあるヘエイアを抜けて、真っ赤なカネオヘ湾を回り、クアロアパークに到着。
芝刈りの最中でシラサギが集まっていた。
深いグリーンを見せたカーアヴァ、プナルウ、ハウウラの海を見ながらドライブ。
ノースに入り、サンセットビーチに到着すると、ここは波予想よりも低く、4〜5フィートだった。
我々が波打ち際で写真を撮っていると、道路沿いにいたアメリカ人観光客がぞろぞろと降りてきて、同じように写真撮影大会を始めた。
ワイメアには少しうねりがあったが、飛び込み岩からは女性の華麗な背面バックジャンプを見せてもらった。
ラニアケアには沖に4フィートほどの良い波が入っていたが、ビーチは穏やかで、5頭ほどのウミガメがすぐ岸の近くを泳いでいた。
すると例のアンテナ付きがゆっくりとビーチに上がってきた。
ハレイワに入っていくと、アナフル川に架かるレインボーブリッジが綺麗になっていた。
先週はまだ工事をしていたのだが、すっかり綺麗になって幅が少し広がったようにも見えるが、路肩を少し削ったようだ。
アリイビーチパークでランチの後、ハレイワ・タウンで散策タイム。
最後にドール・プランテーションに寄り、ホノルルに向かいだすとパラパラとシャワーが来た。
酷くはならなかったが、フリーウェイからは時より虹が見えていた。
20万HIT写真集
このブログの本家、私の個人サイトのアクセス数が20万を超えたのは今年の3月。
最近はこのブログに直接やってくる方が多いので、あまりカウンターは上がらないが、それでも20万HITを超えたらまた写真を載せると言って、今回は皆さんから募集したのだが、すっかり放置したままだった。
写真を送ってくださった皆様には感謝申し上げます。
夏頃までは少しずつ増えていたが、この度その中から厳選して7枚を載せた。
出たがりでごめんなさい。(^_^;)
本家
2006年10月28日
マカプウヘッド
今月3度目のマカプウハイキング。
例年1月から3月の鯨のシーズンは増えるツアーだが、今月は多い。
今日は二組ほどの日本人に会ったが、後は散歩のローカルや中学生くらいのグループもいた。
トレードは少し弱くなったようだが、山歩きで熱くなった身体を冷やすには十分で、青い海を見下ろしながらのハイキングは楽しかった。
カイヴィ海峡の向こうにうっすらとモロカイ島が見えた。
アクセス解析
昨日は本家「じゅにーK's WEBSITE」の20万HITについて書いたが、このブログには今月に入って毎日200〜250人くらいのアクセスが続いていた。
ところが10月16日はいきなり5222HITもあった。
最初は見間違えじゃ無いかと思ったのだが、「ハワイ 地震」で検索して辿り着いた方がとても多かったのだ。
ブログのアクセス解析は日本時間で、ハワイでは15日の地震当日は停電してたし、私が地震について書いたのは16日なのだが先月や昨年の地震についての記事が検索に引っかかって、こんないきなりのHIT数になったのだ。
17、18日も1207、461とアクセスが多かったが19、20日は300台になり、21、22日にはまた200台に落ち着いていた。
それが23日からなぜかまた300台に上がってきて、25日は569、26日は477となっている。
相変わらず「ハワイ 地震」で検索して来ている人も少なくないのだが、実は先日一緒に仕事をした「alice nine」のファンが多くなっているのだ。
撮影中のスナップショットを載せたので、ファンに見つかったようなのだが、随分多いなと思ったら、なんと「2ちゃんねる」から飛んできている。
そういえばalice nineのメンバーも「2ちゃんねる」にトピがあると言っていたが、そこにこのブログのアドレスを直接リンクした人がいたようだ。
alice nineのファン層は中高生が多いそうだが、少しでもハワイに興味を持ってくれる人がいれば、将来のお客さんになるかもしれない。
メンバーもそれぞれブログを持っているのだが、それを覗くと、帰国後の日記には「やっぱり日本がイイ」なんて書いてあったから、ファンがハワイに興味を持つ事は無いかな?
2006年10月30日
サンセットツアー
サンセットビーチへのサンセットツアー。
今日は天気予報があまりにもバラバラで、雷マークの「雷雨」となっているところもあれば、太陽マークの「快晴」のところもあり、朝から晴れたホノルルだけではノースの天気は予想が付かなかった。
しかしH-2フリーウェイを北上しても雨雲は見えず、とりあえずは安心していた。
大型バスが何台も止まっていたドール・プランテーションで休憩の後、ハレイワのタウンに入ると、ここは人が少なく、街は静かだった。
たっぷりと散策をしていただいた後、陽が西に傾いてきた頃移動。
ハレイワを出ると虹が見えた。
ラニアケアの沖には10フィートを超える波が入っていたが、ビーチは比較的穏やかで、ちょうど上がってきたウミガメがいた。
右手には2頭のカメが、砂に埋もれるように岩に混ざって寝ていた。
サンセットビーチに移動すると、コンテストの小屋が出来ていたが、結果などは張り出されておらず、まだ始まっていない感じだった。
しかし沖には6〜7フィートのセットが入っていて、サーファーもサーフィン見物の人も多かった。
上空は晴れ渡っているのに、ちょうど陽の沈む水平線には雲があって、オレンジ色の太陽が雲の隙間からチラッと見える程度だった。
我々が敷いたラグの少し前方には、レンタカーで来た日本人の家族連れがいてしきりに写真を撮っていたが、雲の中に太陽が入ってしまうとさっさと引き上げてしまった。
やがて他の観光客たちもゾロゾロと帰っていったが、雲の様子から夕焼けが出ると判断した私は、もう少し粘ることにした。
すると輝き始めた月の周りの雲の色が徐々に変わってきた。
カエナ岬の裏側からも赤い煙のように広がっていく。
それがさらに広がり、
世界を赤く染めた。
帰りはパールシティのオレンジ色の夜景が綺麗だった。
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