2007年04月06日
JAPANツアー終了報告
結局1日延長して、本日4月5日、無事にハワイに戻って参りました。
桜は見事でしたが、気温の変化が激しく、実はちょっと体調を崩してしまったのですが、これから少しずつご報告させていただきたいと思います。
2週間ぶりのハワイはピーカンで、柔らかな空気が優しく出迎えてくれました。
2007年04月11日
夏風邪!?
久しぶりの日本滞在中、突然39.5度の高熱が出てぶっ倒れてしまい、噂のタミフルを飲んで5日間も寝ていたらようやく熱は下がったので、ハワイに戻ってきた。
いきなり20度近く気温の上がった場所に戻ったのだが、どうやらまだ雨季は本格的には明けていないらしく、朝晩にはシャワーが降り、湿度が高い。
そんな中で今度は夏風邪の症状が出て、喉が痛くなって咳が止まらなくなった。
微熱が続き、結局再び5日間寝込んでいた。
とりあえず帰国の報告をしただけで、日記も書かず、多くの方にご心配をおかけしてしまったようで申し訳ありませんでした。
まだ体調は万全とは行かないものの、一人暮らしで寝てばかりもいられず、少しずつ活動を開始した。
ツアーは一年で一番暇な時期だったのが幸いだが、先週末にはワイメアでがけ崩れが発生して、交通規制が引かれているらしい。
2000年には3ヶ月以上にもわたって工事が続いた大規模ながけ崩れが起きたが、今回も全く同じ場所のようだ。
ツアーに影響が出ないことを祈るばかりである。
2007・JAPANツアー・Part1
なにしろ日本どころか、オアフ島を出るのもほぼ5年振りで、飛行機に乗るのも久しぶりだった。
ホノルル・エアポートには送り迎えで度々来ていたが、ハワイ旅行を終えて日本に帰る日本人旅行者達と一緒にチェックインの列に並び、エグジット・アイルをリクエストすると、あっさりと却下された。
3人掛けの真ん中に押し込まれ、早くもエコノミー症候群になりそう。
それでも、食後にブランデーを2本もらって、何とか少しは仮眠を取った。
やがて成田の畑が見えてくると、いつものようにどんよりとした空が出迎えてくれた。
飛行機を降りると、いつもは空いている「エイリアン」の入国手続きにも長い列が出来ていた。
いつの間にか入国のスタンプはステッカーに変わっていたが、やはり私は「上陸許可」。
撮影の仕事で先日ハワイで会ったばかりのM氏が、出口で待っていてくれた。
そのままM氏の車で都内に出る。
今回はデリバリーが私のメインの仕事だったので、永田町の届け先に荷物を運んで仕事は終了。
久しぶりに見た国会議事堂や皇居もまだピンと来なかった。
四谷の駅まで送ってもらって、中央線に乗った。
日本に帰るといつも楽しみなのは電車。
中学校から電車通学をしていた私には、電車はとっても懐かしい物の一つで、ようやく日本に戻ってきたと言う実感がしてきた。
まだ通勤ラッシュには少し早い時間を吉祥寺まで移動して、駅から徒歩10分ほどの母の実家に顔を出す。
いつもながら日本の街が小さく感じる。
再び吉祥寺駅に戻り、小学校時代の幼馴染達と会った。
途中では恩師も登場して、3件をはしごして、駅前で別れたのは午前2時過ぎだった。
そこからタクシーで実家のある仙川に帰って、長い一日が終わった。
2007年04月12日
2007・JAPANツアー・Part2
翌日は母と水道橋のお寺にお墓参りに行った。
小雨混じりの空模様だったが、各地で早咲きの桜やコブシの花を見ることが出来た。
もうすぐ開幕戦の東京ドームもチラッと見て、新宿に出る。
今回は大阪にも行こうと思っていたので、ハワイでJapan Rail Passを購入していた。
これは海外在住者が日本へ行く時に利用できるJRの乗り放題のパスである。
1週間で28,300円もするのだが、大阪へ一往復すればほぼ元が取れるので、初めて買ってみた。
ハワイでは引換券だけ発行してくれたので、新宿で正式なパスと交換した。
また、丁度始まったばかりのPASMOも欲しかったが、これは引き落とし口座が必要だったり、額面が高かったので断念して、私鉄用のパスネットを購入。
便利になったなぁと思ったが、結局京王線でしか使わなかった。
帰りに、ハワイでは買えない、または高価なものを購入して、この日は自宅で寛いだ。
有難きは母の手料理。
2007年04月13日
Merrie Monarch Hula Festival 2007
今年もメリーモナーク・フラ・フェスティバルがハワイ島で始まった。
今晩はミス・アロハ・フラ。
インターネットでも生中継されるので、フラ好きの方は是非。
http://www.thehawaiichannel.com/merriemonarch/index.html
2007年04月15日
2007・JAPANツアー・Part3
ハワイに住んでいると、日本各地から訪れる人たちと知り合う機会があり、何度もハワイで会っているうちにすっかり仲良くなることがある。
普段はハワイで会ってばかりだが、「日本に来た時には是非遊びに来て」と誘われることも少なくなく、いまや日本各地からお呼びがかかっている状態なのだが、中でも熱烈に誘われ続けていたのが大阪。
実は今まで大阪には一度も行った事が無く、実はちょっと怖い町を想像していた。
大阪ローカルの友人達に急な帰国の件を連絡すると、これはもう行かなければ話にならない状態になってしまい、日替わりでガイドの変わる濃〜い小旅行となったのである。
3月26日は昼過ぎに東京駅に向かい久しぶりの新幹線〜!
ちなみにJAPAN RAIL PASSでは新幹線の乗車券と指定券まで無料になる。
それ程混んではいなかったが、駅で食料を買い込んで乗車。
気分はすっかり遠足の小学生。
富士山を見ようと思ったのに、富士山側の座席から予約が埋まると言うことで既に一杯で、反対側になってしまった。
ところが私の席の列の富士山側に座った人達は、東京駅を出ると早々とスクリーンを下ろし爆睡。
どうしてこう言う輩がいるのかね?
弁当食べて、チラッと雑誌など読んで、私も少し仮眠。
新大阪の駅に到着すると、以前ハワイで一緒に仕事をした撮影スタッフのJ君が出迎えてくれた。
そのまま南森町の「東横イン」にチェックイン。
このホテルは2日間宿泊したのだが、簡単だが朝食が付いていたのと、加湿器が部屋に備え付けだったのが嬉しかった。
荷物を下ろすとロビーに戻り、J君を初めN師匠、Tさん、そしてマイミクでもあるPANAさんと久しぶりのご対面。
まずは地下鉄堺筋線に乗り込み恵美須町へ。
地上へ出るといきなり通天閣がこんばんは。
この辺りは怪しいオジサンが路上で踊ってたりしたが、ここ新世界では目の据わってないオジサンは特に危険では無いそうである。
そして入り込んで行ったのはジャンジャン横丁。
そしてまずは名物の串カツからいただきました〜。
2度漬けは禁止なので、さらにソースが欲しい場合はキャベツを使ってすくうのだそうだ。
ここは「やまと屋2号店」さん。
生ビール2杯目からは、ミニジョッキがサービスでついてきた!
さすが大阪!!
その後ジャンジャン横丁をブラブラして、ビリケンさんとも写真を撮って、
ミナミへ移動。
道頓堀周辺を案内してもらった。
そして法善寺横丁へ入って、
水掛け不動さんをお参り。
最後は法善寺横丁内の「是是(ぜぜ)」と言う渋いバーで1杯飲み、またちょっと違った大阪の面も見た。
帰りはタクシーでホテルに戻ったのだが、なんと端数をおまけしてくれたのだ。
ほんの数メートル程ホテルの入り口を過ぎてしまっただけ。
大阪のタクシー業界の競争が激しいのか、大阪の人が優しいのかわからないが、大阪の初日はとても幸せな気分で終わった。
2007年04月16日
2007・JAPANツアー・Part4
大阪の二日目はどんよりと曇り、午後からは雨の予報だった。
泊まったホテルのウェブサイトで付近地図を見ると、「大阪天満宮」なる神社が近くにあることがわたったので、早速お参りに行った。
ここの桜はまだ1分咲きと言うところだった。
その後はホテルの前の高速道路下をJRの天満駅まで歩き、大阪駅に出た。
ここでは昔東京に住んでいた幼馴染のRと20年振りに会うことになっていた。
20年振りと言ってもメールで近況などは知らせあっていて、仕事も手伝ってもらったりしているのだが、実際に会うのは本当に20年振りで、今は神戸に住んでいる友人も実は大阪が不馴れだと言うので、大阪駅での待ち合わせになった。
早く着き過ぎた私は駅を一度出ることにしたが、雨も降ってきて、知らない土地で困っていたら、「ヨドバシカメラ」を発見。
覗いてみる事にした。
ハワイには絶対に無い規模にびっくりして、平日の昼間に随分客が多いのにも驚いた。
品揃えは豊富で、最新型が揃っていたが、安いかと言うと、ちょっと疑問だった。
本来は型の少し古いのも、値段を安くして置いてあってもイイのに、それがほとんど無かった。
と言っても、上から下までウィンドウ・ショッピングだけでは済まずに、幾つか購入してしまった・・・。
駅に戻って友人と再会して、「お互い年取ったなぁ」と言う話はしないことにして、昔話に花を咲かせた。
雨も降ってるし、お互い知らない場所でうろうろするより駅ビルを使おうと言うことで、大丸大阪梅田店の「かさ」と言う日本蕎麦屋でランチを食べ、隣のホテルグランヴィアの展望フロアでお茶をしながら大阪駅周辺を見下ろした。
工事が多かったが、まだまだ変わりそうな町に見えた。
忙しい友人と別れた後、天満の駅に戻りホテルに帰ろうと思ったら、アーケードがあることを発見。
普段持ち歩かないので、大阪で傘を無くしていて、ちょうど良かった。
後で知ったのだが、この天神橋商店街は日本で一番長いらしい。
こう言う商店街を歩いていても、大阪の人はなんだか人情味があるように思えた。
ホテルに戻って一服していると、大阪のローカルのニュース番組に、以前ハワイで一緒に仕事をした事があるモデルさんがアシスタントとして出ていた!
実は昨晩一緒に飲んだ連中と仕事をした時にいたモデルさんで、この話は聞かされていたのだが、実際に見て驚いた。
そしてその同じ連中と今晩は大阪の夜第2弾である。
ホテル周辺の大阪東北地区(この辺りもキタなのかな?)を案内してもらった。
「お好み焼き」をリクエストしていて、天神橋筋界隈を歩いたのだが、行き付けのお店が休みだったりしてちょっと迷って行き着いたのは「ひろ川」と言う店。
最初は客が入っておらず、大丈夫かなと思ったのだが、愛想の無い店員が運んでくる料理は皆美味しくて、いつの間にか店も一杯だった。
夜の天神橋商店街も歩いて、
怪しい横道に入っていくと、2件目は「びすけ」と言う居酒屋。
この時期どこでも旬のホタルイカを食べることが出来たが、酢味噌和えの多い中、ここでは生姜下ろしとレモンでも美味しかった。
また、アナゴの稚魚である「のれそれ」と言うのを初めて食べたが、これがまた美味しかった!
皆には二日間に渡り感謝!
帰りに屋台で「キャベツ焼き」と言うのを買って、ホテルで夜食にして食べた。
キャベツだけのお好み焼きと言う感じだが、たったの110円。
安い!
こんな感じの大阪二日目でした。
2007年04月17日
トレードウィンド
日本からハワイに戻った時、湿度の高さに驚いて、しかも朝晩は決まってシャワーが降ったので、まだ雨季が明けていないんだなと感じた。
昨年は2月半から3月一杯降り続いた大雨が終わると、4月頭からはカラッとした夏の陽気に変わったのを思い出す。
昨日までも一応北東からの風が入っていたが、吹いたり止んだりで、夜中に窓を全開にしても寝苦しい事があった。
それが昨晩からトレードウィンドが上がってきて、湿度が一気に下がった。
今日も気持ちの良い風が吹いていて、ハワイは夏の気候になったようだ。
ダイアモンドヘッド・ロードのルックアウトから海を見ると、白波が多く、サーファーは少なかった。
これから夏の花が一斉に咲き始めるのが楽しみ。
2007年04月18日
2007・JAPANツアー・Part5
翌日は朝から良く晴れた。
ホテルをチェックアウトすると、京都から出てきてくれた友人のKちゃんが迎えに来てくれた。
今日の観光は「大阪城」。
大きな噴水があったので写真を撮ろうとしたら、なにやら人が多かったが、いつもの事だろうと思って上からパチリとやると、変なオバサンがしゃしゃり出てきた。
「済みません!写真は撮らないで下さい!」だと。
どうやらタレントの乙葉ちゃんがいたらしい。
中央の赤と白の衣装の人がその様だ。
こっちは噴水の写真撮りたいのに、勝手に撮影してる連中がこんなこと言うなんて、とちょっと憤慨。
アメリカだったら喧嘩になるな。
まあ天気も良くて暖かかったので、ブラブラ歩いて、たこ焼きも食べて、
天守閣にも上がって、
豊国神社にもお参りして大満足。
木によっては随分花が咲いている桜もあった。
さて夕方にKちゃんと再びミナミに出て、ミナミで育ったと言うSちゃんと待ち合わせ。
仕事でKちゃんがちょっと外している間に、今晩のホテルにチェックイン。
この日の宿は米系の「コンフォートホテル」
荷物だけ置いてすぐに街に出ると、まずは立ち飲み屋さんに連れて行かれた。
大阪はまづ立ち飲み屋が多いのに驚いた。
早い時間から結構人も入っている。
何しろ安くて、さっと飲めるシステムは羨ましいが、ハワイはリカーライセンスの関係上、こういった形態の店は営業できないのが残念。
写真を撮り忘れたが、この店はキリンビールの系列らしい。
牛スジをつまんで一杯飲んでから、Kちゃんと再び合流して、地下街に入っていった。
ここもあっという間だったので名前を忘れたが、カフェでシャンパンを飲んだ。
そしてもう一人、やはりミナミ育ちのMちゃんが加わって、心斎橋の「でりしゃす」と言う店に行った。
ここは路地を入っていった穴場的な店で、今日は私が肉を食べたいと言うリクエストをしていたので、Sちゃんが予約を入れてくれた。
ここでも大変美味しい料理をご馳走になった。
明日の仕事のためにと言うことで先に帰ったKちゃんとMちゃんを見送ると、その後Sちゃんが連れて行ってくれたのはプロ野球選手もよく訪れるという高級クラブ「クリスタル」。
さらに今度は狭い路地を入っていったところにある小さなショットバー「菊」に行った。
まだ次と言う話も出ていたが、既に2時を過ぎて私もフラフラになってきたので、ここで終了。
今宵も皆さんありがとうございました。
2007年04月19日
2007・JAPANツアー・Part6
5時間ほどの睡眠の後、「コンフォートホテル」をチェックアウトした。
本当はここで2泊したかったのだが、この晩は部屋が取れず、早起きとなった。
朝のミナミの街を荷物を持って移動して、この日押さえた「ホテル・メトロThe21」まで歩いていったが、当然まだチェックインは出来ず、とりあえず荷物だけ預けて再び街に出た。
この日は夕方まで予定が無く、ようやくわかってきたミナミの街をブラブラすることにした。
と言っても既にグリコの看板やかに道楽ではもう感動しなくなっている。
「ドンキホーテ」は日本の店舗に初めて入ったが、まさにジャングルと言う感じで面白かった。
道頓堀川沿いに回っている観覧車は乗らなかったけど、ここで火事が起きたら逃げ道に迷うだろうなぁと、やはり感じた。
「ビッグカメラ」をちょっと覗いた頃ランチにしようと思ったが、どうもまだ一人でミナミの食事処に入っていく勇気が出ず、新歌舞伎座前の難波に出て御堂筋を北上したら、
「ロイヤルホスト」があったので入った。
私が通った高校の裏手にも「ロイヤルホスト」があり、なんだか懐かしくなって、ハンバーグステーキを食べたら美味しかった。
その後さらにミナミを散策して、ホテルに戻ってチェックイン。
夕方からは、やはり京都から友人のEちゃんが出てきてくれた。
入った店は「ちくちく」と言う割とオシャレな居酒屋。
カウンターで飲み食いしながら語り合ったあと、電車が終わる前にもう一軒という事で次を探したが、どうも感じのイイ店が見つからず、それなら前日の最後に行ったショットバー「菊」に行こうという事になったのだが、やはりそう簡単には見つからなかった。
そこで街の人に聞いてみたのだが、どの人もとても親切で、東京では考えられないほどの対応だったのに驚いた。
殺伐とした東京より、大阪はハワイに近いのではないだろうか?
ようやく探し当てた「菊」で一杯飲んで、心斎橋の駅でEちゃんと別れ本日終了。
帰りにホテルの近くのコンビニで夜食を買ったが、朝から昼間とは打って変わって、ホテルの周辺がすっかり歓楽街になっていたのにもびっくりした。
「LOST」ファンツアーへの道4
日本帰国で開始が遅れていた「LOSTファンツアー」の最後の下見として、ツアーと同じように朝から島を回ってきた。
しかし6時半に起きた時はかなりの雨で、インターネットで天気予報を5つも見たが、どれも昼間は晴れる予報だったので支度を開始。
9時にワイキキに行くと本当によく晴れた。
しかしロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターの工事は一体いつになったら終わるのか?
一度はある程度完成した感じだったのに、それをまたぶち壊してなんだかやっている。
目立つ工事だけに、粛々と進捗させて欲しい。
さてワイキキを出るとまず向かったのはマノア。
住宅街を抜けたところにあるパラダイス・パークの跡地や、マノアフォールズ・トレイルの入り口などは、「LOST」ではジャングルの中のシーンでしばしば使われている。
ワイキキは晴れていたが、プナホウを北上するとやはり降ってきた。
ここは雨が多いので、まあ最悪は車内から見てお終いだなぁと思いながらパラダイスパークの駐車場に入っていくと、急に小降りになったので、傘を差してトレイルの入り口まで行ってみることにした。
これから滝まで歩いて行くと言う様なグループがいたが、トレイルはかなりぬかるんでいるはず。
撮影が行われた場所は、勿論ジャングルのかなり奥もあるのだが、トレイルに入る手前の歩きやすい所からすぐの場所もあるので、写真をパチリ。
再び雨脚が強くなってきたのですぐに車に引き返す。
住宅街に戻ってくるともう雨は止んで、ユニヴァーシティーAVE.からキングST.に入って、H-1フリーウェイをカハラですぐに降りるとまたよく晴れていた。
「LOST」でハーレーが宝くじを当てて買った豪邸の前を通って、カハラAVE.からケアラオルAVE.を抜けてカラニアナオレHWY.に合流。
次はハナウマ湾の先、ラナイ・ルックアウトの駐車場に車を入れる。
ここは「LOST」で、島の海岸線を移動している時に何度か出てくる場所。
サンディービーチを過ぎてマカプウを回ると、ウィンドワードサイドは雲が多かった。
カネオヘを抜けてヘエイア・ケアへ。
墜落した飛行機の機首が保管されている場所だが、今日はカバーがかけられていた。
続いてワイアホレのビーチ沿いに車を止め、カネオヘ湾に突き出した桟橋を遠くから見る。
このワイカネ桟橋は、シーズン2の最後とシーズン3の最初に出てくるので、日本でテレビで見ている人にはまだわからないかもしれないが、放送ももう間もなくだろう。
ここかクアロア・パークでグアヴァジュースなど出してちょっと休憩の予定。
その後カネネルビーチに車を止め、ビーチでは無く反対側のカーアヴァ渓谷を見る。
ここはクアロア牧場の一部で、牧場のツアーでないと中には入れないが、「LOST」の他、ジュラシックパークやゴジラの撮影が行われた場所としても有名。
「LOST」でも何度か出てきている。
そして海の方はこの通りの綺麗さで、ここから先はしばらくこんな海を眺めながらのドライブ。
次はカフクのエビの養殖場の端っこ。
ここにあったシュリンプ屋台はソーヤの回想シーンに出てくるのだが、今はこの後ろに全然雰囲気の違う屋台村になっている。
しかしこの屋台は「マッキーズ」と言って、今はププケアで営業しており、実はノースショアのシュリンプ屋台コンテストで優勝したこともあるのだ。
せっかくなのでランチはここで、有名なココナッツ・シュリンプを食べることにした。
その前にサンセットビーチをちょっと見学。
波は3〜4フィートと言ったところだったが、人は少なかった。
エフカイを過ぎて、この派手なトラックが「マッキーズ」。
他の屋台はガーリック系が中心だが、ココナッツはしつこくなくて美味しかった。
衣にココナッツフレークが入っていて、香りが良い。
ご飯はちょっと固め。
アロハ醤油付き。
パイナップルのスライスも付いていた。
食後はラニアケアの先のパパイロアビーチへ向かうが、ワイメアでは先日の崖崩れの工事中で、1車線の規制があった。
少し待たされたが、現場はこんな感じで、この辺りの岩はやはり赤かった。
しかしワイメアベイは穏やかでとても綺麗だった。
さてパパイロアビーチは、カメハメハ・ハイウェイから横道に入り、車を止めてこんなローカルアクセスを抜けていく。
さらにビーチを5分ほど歩くと、こんな景色が出てくる。
「LOST」ファンなら見覚えのある、キャンプのあるビーチだ。
反対側をみると、やはりここも多くのシーンで登場する場所がある。
さらに少し歩くと、いよいよキャンプのロケ地である。
今も使われていて、前回ここを訪れた時とはまた少し様子が違っていた。
今日は立ち入り禁止の柵が無かったが警備員がいたので挨拶すると、入ってこなければ写真は構わないとの事。
しかしここでなんとデジカメのバッテリー切れ!
既に途中で予備に切り替えていて、これもなくなってしまった。
よって写真はここまで。
再び車まで歩くと結構汗が出た。
そこでハレイワの町に入って少し休憩した。
「ポリトレ」でギセラとYちゃんに挨拶して、アリイビーチの方からハレイワ・ロードに入って、「ケアリイオコマル教会」の前を通る。
日本の放送でももう出たと思うが、エコの弟イェミの教会である。
実際に使ったのは内部。
その後ワイアルアのシュガーミルの横を通って、モクレイアに向かう。
このシュガーミル跡地はアフリカの設定で使われた。
ディリンハム飛行場に入っていくと、今日はオーシャニックエアーの胴体部分にもカバーがかけられていたが、フェンスのドアの隙間から、ブーンが死んだ時のアフリカの飛行機の残骸がチラッと見えた。
飛行場を出て、モクレイアのビーチには2ヶ所に止まって、墜落現場と、ジャックがお父さんの幻覚を見た木を見る。
さらにカエナ岬の方に行くと、シーズン3で最初に出てくる場所がある。
カエナ岬の行き止まりでUターンしてホノルルに戻ることになるが、今日は丁度仕事が終わったY家に立ち寄ってお茶をした。
丁度渋滞の酷い時間になってしまったが、ツアーでは4時から4時半にワイキキに戻り、時間が余るようならシドニー空港の設定で使われたコンベンションセンターの周りをぐるっと回ろうかとも思っている。
これらのロケ地は、レンタカーを使って回れない事は無いが、裏オアフのかなりローカルな場所が多いので、旅行者だけでレンタカーで行くのはあまりお勧めは出来ない。
ツアーに来ていただいたお客さんには、さらにワイキキ内やイリカイホテル、アラワイ・ヨットハーバーなど、徒歩で回れる「LOST」ロケ地の地図でも作ってプレゼントしようかと思う。
後はHPを完成させるだけ。
もう一息!
2007年04月21日
2007・JAPANツアー・Part7
翌日はスカイダイバーの友人Mヤンが温泉に連れて行ってくれるということで、まずは指示を受けて途中まで一人で移動することになった。
南海難波駅に出て、
鉄人28号みたいな電車がいると言われたが、結局こんな電車に乗って、
岸和田へ移動。
駅前のロータリーにMヤンが迎えに来てくれた。
まずはランチと言うことで、行きつけのうどん屋さんに連れて行ってもらったが、生醤油うどんは美味しかったぁ〜。
その後和歌山に向かってドライブ。
途中紀ノ川沿いの「桃源郷」を通ると、丁度桃の花が満開で、ピンク色の花が咲き乱れた素晴らしい光景に出くわした。
その紀ノ川の土手に車を止めて、しばしお花見。
この日も良いお天気で、川辺に吹く風も気持ち良かった。
そしてどんどん山奥に入って行き、道幅の狭いクネクネ道を進むと、「メロディーロード」なる標識が出てきた。
本州で唯一のメロディーロードなのだそうだが、これは路面に溝が刻んであり、一定の速度で車が通過すると振動で音が出ると言うもの。
そしてその溝の微妙な調整によって、音階を奏で、歌に聞こえると言うものだが、坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」がなんとなく聞こえてきた。
しかし他に走っている車はほとんどが地元ローカルで、観光用という感じには思えなかった。
ちなみにこの道の狭さに合わせてか、ほとんどのローカルの車は軽トラか軽乗用車だった。
道路はタンタラスの丘の裏道程の幅だったが、実は国道の370号線。
さらにしばらく走り、山間にある本日の宿、美里温泉「かじか荘」に到着。
本当に山に囲まれた静かな場所で、携帯電話も圏外。
チェックインの際に私のことをチラッと見たフロントクラークが、「浴衣はお部屋にご用意してありますが、『大』と『特大』もございます・・・。」と言ってくれたので、迷わず『特大』をお願いしたが、結局188センチの私にはツンツルテン。
しかし凄い色!
そんな事より温泉!と言うことで、5年振りの温泉を堪能した。
露天もあり、どこかのスピーカーから流されているのではないかと疑ってしまうほど、山のあちこちから「ホ〜ホケキョ!」と鶯の声がしきりにこだましていた。
Mヤンは私と歳の変わらない男性だが、大変若い彼女と付き合っていて、私はひそかにその彼女と、彼女の友達なんかが一緒だったら盛り上がるかなぁ〜なんて思っていたが、種類も量も大量の夕食の後は結局男二人で遅くまで語り合った。
VWのCM
先日日本へ急に行く事になるきっかけとなったヴォルクスワーゲンJAPANのテレビCMは、現在日本で流されているのだそうだが、ウェブサイトでも見ることが出来る。
http://www.golftouran.jp/
ここから車の写真をクリックすると別のウィンドウが出てくる。
左上部の「MOVIE」をクリックするとショートヴァージョンのCMと、メイキングが見れる。
ハワイの空をご堪能下さい〜!
2007年04月22日
2007・JAPANツアー・Part8
静かな山の中での一泊はよく眠れたが、この数日の疲れが出たのか、朝から少し喉が痛かった。
朝風呂にも入って、川沿いの食堂で朝食を食べていると、窓の外にはツバメが飛び交っていた。
ハワイとはまた違う田舎の自然の雰囲気に大満足して、「かじか荘」チェックアウトした。
そのままMヤンに新大阪の駅まで送ってもらって、初の大阪+和歌山の温泉ミニツアーは終了。
駅で一緒にランチをしてMヤンと別れた。
Mヤン、BIG MAHALO!
さすがになんだかすっかり大阪弁がうつってしまった・・・。
丁度終わったばかりの大相撲大阪場所から日も浅く、お相撲さんの移動とぶつかった。
帰りの新幹線も、富士山とは反対側で、しかも結構混んでいた。
3時間ほどぐっすり仮眠して、東京駅からJR中央線で吉祥寺に出た。
今晩は吉祥寺の中学校のバスケット部関係の飲み会の予定だった。
ところが結局連絡が上手く着かずに、恩師の先生とサシで飲むことになった。
昨年はガンの手術をして、3ヶ所も切ったそうだが、「最近また少し飲める様になった」と言ってビールを飲む77歳の先生は、10年程前には何度かハワイにも遊びに来て下さった事がある。
さすがに病後と言うことで長くは一緒にいられなかったが、久しぶりにお会い出来てとても嬉しかった。
先生と別れた時点でもまだ時間は遅くなかったが、私もなんだか疲れてきて、仙川の実家に帰ることにした。
早い帰宅に少し驚いた母に、「ちょっと熱っぽい」と言うと、体温計を持ってきてくれた。
すると38度を越えていた!
普通の風邪なら鼻や喉から症状が出てくるのだが、朝方少し喉が痛かった程度で、これだけの熱が急に出ると言う事は、もしかしてインフルエンザ??
とりあえず即寝た。
アラモアナビーチ
先日、ようやくハワイの雨季が明けたようだなんて書いた次の日から、また雨の多い日が数日続き、上がってきたトレードウィンドは、寒い冬の風になっていた。
それが昨日は朝からよく晴れたので、午後、仕事が一段落してからアラモアナビーチに泳ぎに行った。
車を止めて、最初はマジックアイランドまでウォーキングして、軽く汗をかいてから海に飛び込んだ。
沖には3〜4フィートほどの良い波が出ていて、サーファーも多かった。
ダイアモンドヘッドは既に茶色く夏の色に戻っていた。
夜は綺麗な月が上がっていた。
2007年04月24日
2007・JAPANツアー・Part9 最終章
次の朝、フラフラの頭を「ヒエピタ」で冷却しながら熱を測ると、なんと39.5度まで上がっていた。
実は私のハワイの家には現在体温計がなく、3〜4年は自分の体温など測ったことがなかった。
それでも熱があるなんて思った事は無かったのだが、この時ばかりは現実の数字を見て目眩がした。
そしてこの後の2日ほどはほとんど記憶がない。
物凄い汗をかいて、ボーっとした状態の中、夜中になると部屋の冷えた空気が鼻から身体の中を冷やす感覚で目が覚めたりした。
私が日本にいた時期、ニュースになっていたのは石川県輪島の地震、スケートのミキティー優勝、そしてタミフルによる異常行動だった。
まさか自分がそのタミフルを飲むことになろうとは・・・。
母には「あんたがベランダから飛び降りようとしても、私は止められないよ。」と言われたが、3日目くらいでようやく食事をとる事が出来るようになったので、薬を飲み始めた。
タミフルの他にも幾つか熱冷ましや鎮痛剤などを服用し、痛かった節々も落ち着いてきた。
まさか日本に行って母親に看病してもらうとは思っていなかったが、この時は本当に感謝した。
まあ昔は熱があると水で絞ったタオルをおでこに乗せてなんて言うのが看病風景だったが、今は数時間おきに「ヒエピタ」とか「熱冷まシート」なんて言うのを交換してぴたっと貼るだけ。
剥がしたのはまた台紙に戻して冷蔵庫へ。
しばらく病気なんてしたことが無かったので、こんなことにも感心してしまった。
食事は、母の手料理と言っても、おかゆや蕎麦くらいしか最初は食べられなかった。
そしてほぼ5日間の病人生活の後、熱もほとんど下がり、ハワイへ戻ることになった。
戻る前日の4月4日には、ハワイで開いている鍋会のイベントが六本木で開催される予定で、これも楽しみにしていたのだが、なんとその4日には外には雪が降るような陽気で、結局家の中で震えていた。
しかし戻る当日の5日は朝からよく晴れて、実家のベランダからは富士山がよく見えた。
成田エアポートには友人のMちゃんが見送りに来てくれて、一緒に寿司を食べて、少し話をすることが出来た。
そろそろ時間と言うことでセキュリティーゲートに入っていくと、カバンの中から母が直前に持たせてくれた漬物が出てきた。
そして内容量が100グラムの「ふじっ子」はOKだが、150グラムの「きゅーりのキューちゃん」は駄目だと言う。
液体の持ち込みは一つ100グラムまでと言う規定があるのは知っていたが、漬物の内容量は水分だけの重さではない。
「この『きゅーりのキューちゃん』が爆発物に見えるかー!!」っと喧嘩しそうになったが、そんな元気はまだなく、言われるままに没収されて、まあ見送りに来た友人がまだゲートの近くにいたので引き取ってもらう事は出来た。
帰りの飛行機では初めてパーソナルTVが付いていた。
なんだかウキウキして、色々いじってみて、ゲームをしたり、映画も「ロッキー・ファイナル」を見た。
ちなみに隣に座った日本人の親子は「犬神家の一族」を見てた。
それに1〜2センチ膝の前のスペースが広いように感じたのだが、パーソナルTVの為に背もたれの幅が厚くなっているようで、食事の時は前の人がちゃんとリクライニングを戻していても、私は顔を前に出すと頭がつかえてしまった・・・。
まあ成田で食事は済ませたばかりだったので、あまり手は付けなかった。
行きに比べたら帰りは早く感じたが、あっという間にホノルルに戻ってきた。
快晴の空にプルメリアの香りを嗅いで、ハワイに戻ってきたことを実感。
アメリカ市民はイミグレーションは早い。
指紋採取や写真撮影がある訳ではないので、「里帰りから戻ってきました」と言うだけだったが、結局荷物が出てくるのにしばらく待った。
そしてカスタムで引っかかってしまった。
35キロもあるスーツケースの中から、食品を取り出して、原材料を調べだした。
鳥や牛の肉類が駄目なのは知っていたが、母が持たせてくれた大量の食料品を私は一々チェックしていなかった。
するとパスタソースやチャーハンの素などに鳥のエキスなどが入っているのを見つけたらしく、「トリ〜!トリ〜!」と日本語の文字を見つけて喜ぶ検査官の女性は、まるで宝探しでもしているようだった。
結局いくつかは没収され、最初から最後までスムーズな旅という感じにはならなかった。
窓全開のタクシーで家に戻ると、荷物を解き始めたのだが、日本と比べて湿度が高く、なんだか汗が吹き出てきた。
この日は疲れもあって早めに寝たのだが、翌朝、母にもらった体温計で熱を計ると37.5度あり、だるさが出てきてダウン。
残りのタミフルなどの薬も摂りながら4日ほどは家の近所から出られなかったが、日本での楽しい事を思い出しながら、あっという間の旅を思い返していた。
久しぶりに会えた人は勿論、桜なんて十数年振りに見ることが出来たし、色々と美味しいものを食べたり、大阪にも行ったり、温泉にも入ったりして、自分の中にある日本人を再認識することが出来た。
東京では予定がこなせず悔しい思いをしたので、次回はなるべく早めに、東京リベンジを第1の目的として帰国したいと思う。
さあそれはいつになるのだろうか?
「LOST」ファンツアーへの道5 完成!
全米のABC系列で放送中のテレビドラマシリーズ「LOST」は、ほぼ全ての撮影をオアフ島内で行っていると言うことから、ダイアモンドヘッドクラブでロケ地を巡るツアーが出来ないかと言うリクエストが来ていた。
既にアメリカ人向けには、その一部に行くツアーはあり、撮影地を細かく調べた英語のサイトもあるので、レンタカーで旅行者が回ることも不可能ではない。
しかしこれは他のハワイのどのツアーにも言えることだが、レンタカーを使うリスクや、英語の問題、さらにロケ地ツアーの場合はあまりにもローカルな場所に行くので、ローカルとの摩擦の心配もある。
まあこういった問題を解決しながら、マイナーなツアーを積極的に企画催行するのがダイアモンドヘッドクラブのセールスポイントでもあるので、準備をしてきたところ、mixiの今は1万人を超す「LOST」コミュニティー内に「LOST・ファンツアーへの道」と言うトピを立ち上げて、「LOST」ファンから直接意見を聞き、オアフ島を1週しながらロケ地を数ヶ所巡り、同時にオアフ島の綺麗な場所もたくさん見れる内容に仕上げる事が出来た。
ようやくツアーとしてのホームページも完成したので、公開。
http://diamondheadclub.com/
オプショナルツアーのページから見れます。
2007年04月27日
ハイネケン ダークラガー
ハワイカイのロングスでビールを買おうとして、大きな冷蔵庫を見ていると、緑色のハイネケンの中に赤いのを見つけて驚いた。
赤いラベルに赤い瓶の「ハイネケン ダークラガー」。
初めて見たので興味が沸いて買ってみた。
中身は当然ダークで、味は甘みのあるラガー。
「ギネス」より飲みやすいかも?
2007年04月28日
ナイトドライブ
「今年は風が強くて寒い」と、ローカルからも旅行者からもよく聞く。
日本から戻ったばかりの私には、寒いと言うのはピンと来ないのだが、確かに4月も後半だと言うのに夜の外出時には上着を持っていくことが多い。
風が強いのはいつもの事だと思ってはいるが、昨晩は久しぶりに少し弱まった。
そんな中、久しぶりのナイトドライブツアー。
お客さんは2年振りのご夫婦だったが、いつも「ハワイ日記」を読んで下さっているそうで、話題は尽きなかった。
モアナルアガーデンの辺りからレッドヒルを越えるまでは、カリヒヴァレーやモアナルアヴァレーからシャワーが流れてきたが、パールシティは降っていなかった。
ところが公園でラグを引こうとしたらポツポツと感じたので、一旦公民館の軒先に避難。
しかしこれはすぐに止んだので再び芝生の上に出て、北斗七星を仰ぎながら、グアヴァジュースを飲んで頂いた。
やはり風は弱いままで、気持ちの良い夜だった。
幻のロコモコ
今日も昼間は良い天気だった。
夕方からシャワーになった。
さて、カヘカの「ドンキ」に、ホノルルの複数の友人たちから、「ダイエー」時代から「結構美味しい!」と評判のあった「ロコモコ」がある。
店外のフードコートではなく、中の奥にあるお惣菜のコーナー。
しかもランチタイムまでにはほとんど売切れてしまうという人気振り。
しかし私が「ドンキ」に行くのは大抵が夕方か夜。
いつもチェックはして見るが、その「ロコモコ」を見た事は無かった。
それが昨日、アラモアナビーチで泳いだ帰りに「ドンキ」で食料を仕入れていたら発見!
早速買ってみた。
ちょっと見ただけではロコモコに見えない・・・。
まあご飯にハンバーグステーキ、そして目玉焼きが乗ってグレーヴィーがかかっていたら「ロコモコ」だから、間違えは無い。
他のロコモコはもっと茶色いグレーヴィーが多いので、そこが一番の違い。
はい。
美味しかったです。
でもあの値段であの味、、、どんな旨味調味料が入っているのやら・・・。
その後やはり、かなり喉が渇いた事も忘れずにね。
やっぱり「レインボー」の方が美味いかな?
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