ハワイ日記2011年11月


2011年11月02日

ハローウィーン・ナイト2011

今年もまたワイキキに繰り出してしまった。

ハワイに来たばかりの頃は何度か行ったが、何しろ渋滞が激しくなるのでしばらく敬遠していた。

しかしここ3年は連続になる。

家を出る前からカラカウア通りの渋滞がよくわかった。

キングストリートからずっと続く大渋滞。

これはドンキのバス停近く。



ワイキキへ向かう車はほとんど動いていない。

私は友人と、今年も歩いて出かけた。

アラワイ運河を渡り、マッカリーを超えた頃から少しずつ人が増えてきた。

えぞ菊の前を過ぎると、仮装したお化けたちがたくさん現れた。



早い時間はキッズ達の可愛い仮装が多いが、10時を過ぎてアダルトな仮装が増えてくる。



サービスの良い「モンロー」は、おっさん達のカメラが取り囲んでいた。



私も去年は久しぶりにちょっとだけ仮装をしたが、今年は最近仕入れた「アングリーバード」のTシャツを着て、アングリーな奴らがいたら一緒に写真を撮りたいと思っていた。

今年は平日と言うこともあって若干人出が少なく感じられた。

昨年までの「アバター」を全く見なかったが、「スーパー・マリオ・ブラザース」がなんだか多かった。

一昨年の大ヒット「落ち武者・シムラ」も、常連の「マイケル・ジャクソン」も残念ながら見かけなかった。









APECまでに終わるのか、心配されていたカラカウア通りの歩道の工事は何とか終わっていた。

今年も交差点にはポリスが出て、歩行者の整理をしていた。



さらに歩道側の車道も一車線クローズして、ダラダラと見物しながら流す車を排除していた。



「キョンシー」がいたり、



スーパー・ヒーローがいたり、





血糊を付けている最中のお化けがいたりもしたが、



バスケットボールと、ゴールに化けた夫婦が微笑ましかった。




そしてようやく見つけた「アングリーバード」。



iPhoneのアプリでずっと上位をキープしている人気ゲームなので、もっといるかと思ったが、この二組だけだった。



で、記念撮影。



でも一番人だかりが多かったのは彼・・・。




歩いて帰る途中、「瀬里奈」に寄ってちょっと歌ってきた。




2011年11月04日

「LOST」ファンツアー

昨晩の天気予報では、降雨確立50%と言うことだったが、レーダーの雲の動きを見ると、雨季が始まったような感じだ。

早朝にもザーッとシャワーがあったが、ワイキキにお客さんをお迎えに行く頃には晴れていた。

しかしまだ道路の濡れているマノアのパーキングで早速傘を出す。

トレイルの入り口までは使わずに済んだが、



「パラダイスパーク」に入っていく前から降り始めた。

セットを壊すと言う話が出てから2週間以上経っているが、交渉がまだ続いているようで、まだ特に変わったところは無かった。

カハラを抜け、カラニアナオレ・ハイウェイを東に向かう。

お天気はすっかり良くなったが、コオラウ山脈の稜線は雨雲で覆われていた。

ラナイ・ルックアウトからは、沖にほんのわずかにモロカイ島が見えただけ。



何かの撮影をやっていた。



東海岸はやはり雲が多かったが、ワイマナロのベロウズビーチに入っていくと青い空が広がってきた。



カネオヘに入ると断続的に降りはじめ、ワイアホレ・ビーチパークの路肩に寄せると激しいスコールになった。

車の中で説明を始めると、急にピタリと止んだので表に出た。

公園は水浸し。



クアロア・パークに回ると雨が降った形跡すらなかった。



パイナップルジュースを飲んでいたら、ブラジリアン・カージナルが遊びに来た。



その後のウィンドワード・サイドは晴れたり曇ったり、降ったり止んだりが続いたが、ノースショアに回ると大分陽が差してきた。

パパイロアビーチに入る前は後ろの雨雲を気にしたが、すぐには追いつかないと判断して何も持たずに歩き始めた。

しかし沖を流れる大きな雨雲の端がかかって、サッと小雨を被った。

それもすぐに止むと、今度はまた陽が差して少し暑かった。



ウミガメが一匹上がっていた。



ハレイワの「マッキーズ」でのランチタイムには虹がかかっていた。




休憩の後、カエナ岬に向かう。

モクレイアビーチは誰もいなかった。



一方「キャンプ・アードマン」は小学生のキャンプが来ていて賑やかだった。



帰り道はワヒアワ辺りで既に薄暗くなってきた。

道は空いていたが、ワイキキの周辺には7日からの道路閉鎖に関するサインがあちこちに立てられていた。


2011年11月07日

ココクレーター植物園

昨晩も断続的にシャワーが降り続いていた。

早朝の雨がまだ道路を濡らしていたが、ワイキキにお客さんをお迎えに行く時には晴れ間が広がった。

アラワイ・ヨットハーバーの後ろには小さくなった虹が見えた。




さて、カラニアナオレ・ハイウェイを東に走ると、すぐに雨の降りそうな気配は無かったが、トレードウィンドが上がっていて、雲の動きは早かった。

だがココクレーターは雨の降りにくい地形なので、雨はあまり心配しないで向かった。

ハナウマ湾を過ぎると海はかなりうねりがあった。

サンディービーチには4フィート以上の豪快なショアブレイクが立っていて、さすがにサーファーも少なかった。


ハワイカイ・ゴルフコースの脇からココクレーターの内部に入っていくと、止まっている車は一台だけで、聞こえてくるのは鳥の声だけだった。

近くまで市バスが走っているのだが、旅行者だけで初めてここに来たら、あまりに人がいなくて逆に寂しく感じるかもしれない。

入り口でブローシュアをピックアップすると、前より少し新しくなっていた。


最初のプルメリアの並木はそれほど花が多くなかったが、向かい側のハイビスカスは咲き乱れていた。



少し行くとサボテンコーナー。





ここの月下美人の花はすっかり終わっているようだった。



その先はしばらくクレーター内の乾いた大地を歩く。




ヘチマのような実がぶら下がった「ソーセージの木」なんて言うのもある。



最近はオアフであまり見かけなくなったコーラルツリー(ウィリウィリ)の大きな木があるのだが、花はほとんど咲いていなかった。

これはデザート・ローズ。



通称「かぼちゃの木」



と、この辺りから雲が入り込んできてサーッと降り始めた。

傘を出して再び歩き始めるが、2分もしないうちに止んだ。

そしてその先のプルメリアの低木の集まるエリアには、良い感じに雨に濡れた花がたくさん咲いていた。









葉の裏には雨宿りしていた虫がいた。




園内をぐるりと回ってから入り口のベンチでスナック休憩。

帰り道にラナイ・ルックアウトに立ち寄って写真タイム。

気付くと太郎の屋根に鳥が集まってる!



最近、いや前から、鳥が私に馴れ馴れしいのは何故か?

ワイキキに戻るとマノア方面から雨雲が迫っていた。


2011年11月12日

ムーンボー観測会&ノースショア鍋会

今日も街中は静か。

今週に入ってAPECの道路規制や混雑を避け、オアフ島を脱出した人が多いらしい。

お客さんはいなかったが、フリーウェイも空いていると予想して、一応通常通りの3時には家を出た。

しかし明日からの3連休を前に、ホノルルを出る人が多かったのか、フリーウェイはかなり混んでいた。

H-2に入るまで、断続的にシャワーが降り続く中、ノロノロが続いた。

結局モクレイアまで1時間半もかかったが、ハレイワまで降っていた雨もここはすっかり止んでいた。

今日はいきなりこんなアヒルたちが出迎えてくれた。



しかも着いてくるし・・・。



また鳥に好かれてしまった。



ビーチには子犬が3匹走り回って遊んでいたし、ブタも散歩していた。



雨雲がどんどん空を流れていた。




Y家でしばらく寛ぎ、サンセットタイムにまたビーチに出る。




鍋会も当初は7名くらいと言う予想だったのだが、結局最終的には15名以上集まり、賑やかになった。

風もあり、雨も降る、ムーンボーには絶好のコンディションで、皆多少濡れることは覚悟して、カメラなどの設置も完了したが、月が上がってくると雲が消えていった。



やはり少し涼しくはなったが、結局その後雨が降ることは無く、絶好のお月見ナイトになった。

今晩もポットラックが豪華でお腹一杯になった。

残念ながらムーンボーは出ず、少し早めの解散となった。



2011年11月13日

APEC 誰が来たの?

昨晩遅くのこと、APECの為にコンベンションセンターからワイキキ方面が渋滞しているのは知っていたが、目の前のヤング・ストリートと裏のベレタニア・ストリートまで大渋滞していた。

しかもカラカウアの信号がずっと赤のままで、ポリスが止めている様子。

フリーウェイの出口のあるプナホウからベレタニアを経由して、カラカウアに至るルートが通行止めにされていた。

この時期だし当然APECの関係で、どこかの偉いお方が通るのだろうと予想はついたが、10分以上経つと待たされている列の車もエンジンを切ってすっかり諦めている。



やがてセントラル・ユニオンチャーチの木立の後ろに緊急車両のライトが見え、前後に5台ずつの警備車両、その中に救急車も含む20台ほどで、合計30台の車列が走り抜けていった。

信号が止まっていたのは20分以上だったと思うが、動き出した車からは何故か何度も雄叫びが聞こえてきた。

一体誰が通ったのか気になったが、そのすぐ後に「野田首相ハワイ到着」と言うニュースを見たので、もしかしたら・・・。


さて、日本政府ご一行様はハワイプリンスホテルを貸し切っているそうだ。

アメリカなどが合計50名ほどなのに、日本と中国だけが300人以上来るって言う話しも聞いたが、会議に出る方のご家族って言うのも相当数いるらしい

ワイキキは外してコオリナ方面に宿泊する”関係者”が多いようで、しかもワイキキは飛ばして遊びに行くのでドール・プランテーションやハレイワは結構忙しくなっているらしい。

やっぱり”関係者”は税金で来てるのかな〜?


マキキ・ループトレイルを歩く

昨日から、家の外には出ない方が良いと言うくらいな渋滞が近所で頻繁に発生しているが、朝からお天気は良かった。



ワイキキはおろか、「ドンキ」に行くのも大変そうなので、いっそのこと反対側の山を歩きに行くことにした。

そこで、数年前まではお客さんとよく歩いた「マキキ・ループトレイル」に向かった。

パーキングに車を止めて歩き始めると、トイレの横にまるで市バスのバス停のようなベンチが出来ていた。



トイレも若干綺麗になっていたし、足を洗う場所も立派になっていた。

森の中に入っていくと、ここがトレイルの入り口。

前には無かった案内板と、ブローシュアが置いてあった。



ここから100メートルほど歩いて、ようやくここがループの入り口。



時計回りにカネアロレ・トレイル、マキキ・ヴァレー・トレイル、マウナラハ・トレイルと言う3つのトレイルをぐるりと回る。



木陰の多いトレイル。



竹薮があったり、



ハウの林があったり。



ここにはちゃんとグアヴァが落ちている。



マノアの方は時々潰れているのがあるだけだが、ここは何しろ歩いている人が少ないので、踏み潰される事がなく、虫食いや傷が無ければ拾って試食が出来る。

ジューシーだったが、結構酸っぱかった。

木に付いているのもあったが、高くて届かなかった。




一方、ストロベリー・グアヴァはたくさんあった。



ようやく見つけた赤く熟した実は、ちょっと背が届かない高さだったが、そういう時はコレ!



そしてゲット〜!



これは甘酸っぱくて美味しかった。


ククイの林に近づくと、



トレイルにはナッツが敷き詰められていた。




途中はかなりぬかるんでいる場所もあった。







昔はここでよく写真を撮った。



そしてこの橋。



途中、イノシシの足跡も発見!



遠くにアラモアナ方面が見える場所もある。



最後のマウナラハ・トレイルは、ずっとユーカリの林を下っていく。



実は山の稜線で、すぐ横は谷。



ゆっくり歩いて約2時間。

ここは韓国人ハイカーが多く、今日もすれ違った人の半分はハングル語を話していた。

気持ちの良い汗をかいた。




2011年11月17日

APEC 終了

オバマ大統領の出生地と言うことで、ハワイで開催された今年のAPEC。


まず直前の11月5日には、クヒオ通りの「マクドナルド」で、APEC警備のスペシャル・エージェントがローカルを撃ち殺すと言う事件が起きた。

口論になって、ローカルがナイフを出したことに過剰反応したらしいが、エージェントが薬物検査を拒否したことや、テレビに出たエージェントの顔写真がどう見ても酔っ払っている、または薬の影響下にあるのではないかと見える為に、騒動になった。

市民を守るはずの警備が、その市民を撃ち殺したと言う事件は、現在世界中で沸き起こっている「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)」のムーブメントに乗り、結局守るのは1%の金持ちだけではないかと言う主張にまで発展し、キング・ストリートのオールド・スタジアム・パークでは市民の抗議運動が展開された。

これはAPECが始まると自然に消滅したが、現在でもトーマス・スクエアで「オキュパイ・ホノルル」と言う抗議運動が続いている。

実際に会議が多く開かれたコンベンション・センターの前は、法輪功への中国政府の弾圧に抗議する世界中の団体が陣取り、連日テレビなどで取材されていた。

10月末から毎日、テレビではカーライル・ホノルル市長が「APEC期間中は用事の無い人はワイキキに近づかないように」と必死に訴え続けていたが、私は1週間以上全くツアーが入らなかったので、基本的に家で大人しくしていた。

それでも生活に必要な買い物はあるので、ワイキキはおろかカピオラニ通りにさえ近づかない様にルートを考えて行動していた。

カラカウアだけでなく、マッカリーからもワイキキに入るには規制があったようだし、コンベンションセンター周辺の道路は車線も減らされて渋滞が慢性化していたようだ。

マジックアイランドとアラモアナ公園は警察と救急関係の車両の専用パーキングになり、当然ビーチにも近づけなかった。

10日からは世界中の首脳の到着ラッシュと、会議などのための移動、そして帰国のために、あちこちの道路が封鎖され、私の家からも全く車の動かなくなったベレタニア・ストリートや、30台にも及ぶ車列を何度か目撃した。

会議が終わるとさっさと帰国した野田首相のような人もいたが、オバマ大統領は軍の基地内でゴルフを楽しみ、火曜になってようやく次の移動地であるオーストラリアに向かった。

その為に火曜の朝もコオリナからパールハーバーの飛行場まで、交通規制が敷かれ大渋滞が発生した。


「APECはハワイに経済効果をもたらす」と言っていた人は、特需が発生した人たちだけで、一般市民にとっては迷惑だけだった気もする。

元々11月は日本からの旅行者は少ない月で、いてもハネムーンか団体旅行が多い。

それもAPECの規制を敬遠してさらに数が減り、ツアー関係者の中にはオアフ島を脱出してラスベガスや隣島、または日本に帰省していた友人もいた。

私は例年クリスマスカードの作成や、来年のブローシュアなどの作業に追われるため、仕事が無くても最初から諦めていたが、路面店を出す小売業者にとっては、通り一本の差で全く営業が出来なかったり、会議やマスコミ関係者などの特需で儲かった店と明暗が分かれたらしい。

オバマ大統領はまた年末にも恒例のクリスマス休暇でハワイに戻ってくるらしいが、APECではハワイのオバマ人気に影が差したような気もした。


ダイアモンドヘッドクラブは、明日の貸し切りの「LOST」ファンツアーから、ようやく通常のペースに戻りそうだ。

しかし今日は雲が大分出て、明日から数日お天気が悪そう・・・。



2011年11月19日

「LOST」ファンツアー

私のオリンパスのカメラの調子が悪くなったのは、オリンパスが揉めているのとは関係無いと思うが、借りている友人のお古もピントが合わなくなって、ちょっとピンチ!

最近はブログだけでなくて、あちこちで写真をネット上に載せることも多く、これは早急に解決しなくてはならない問題。

今日も一応満足に撮れた写真だけを掲載。


APEC後、初めてのツアーは社員旅行の貸し切り「LOST」ファンツアー。

皆さんそれぞれキャラクターになりきって、大いに楽しんでいる様子だった。

朝のワイキキは晴れていたが、マノアの谷に入って行くに従い薄雲が出てきた。

一応傘を出して歩き始めるが降られることは無かった。

「パラダイスパーク」はその後もセットの解体作業は始まっておらず、「オーキッドステーション」も変わらなかった。



「ハイドラステーション」の「シロクマの檻」も特に変化は無かったが、「テンプル」は崩壊が進んでいた。



自然に拠る物ではなく、またローカルの悪ガキが入り込んだらしい。

今日はパーキングのアテンダントにハードコア・ロスティーのスティーブ君がいたので、お客さんに紹介すると腕の数字を自慢げに見せてくれた。

しかも彼、胸には「オーシャニック815便」の刺青もあることが判明。

今度は是非写真を撮ってきたい。


ラナイ・ルックアウトから見る海はゆったりとしたうねりがあり、遠くに見えるのはモロカイ島だけだった。

東海岸に回ると少し雲が多かったが、降り出しそうな気配は無かった。

ワイマナロのベロウズビーチも人は少なかった。

ワイアホレ・ビーチパークには水溜りが残っていて、カネオヘ湾は今日も真っ赤だった。


クアロア公園でジュースを飲んで休憩。

ちょうど芝刈りをやっていて、シラサギが集まっていた。




カーアヴァビーチではちょうど雲が切れ、美しい色の海が見れた。

ノースショアもハイクラウドの薄曇で、波も無かったので、ビーチはチャンズリーフ以外は静かだった。

勿論ラニアケアにはレンタカーが多かった。


パパイロアビーチも歩きやすく、それほど汗もかかずに戻ってきた。

ハレイワでランチと休憩の後、カエナ岬に向かう。

モクレイアビーチは誰もいなかった。

「キャンプ・アードマン」は子供達の声がしたが、キャンプ・エリアには誰もおらず、ゆっくりと見学。


しかしその後はワイキキに直行した。

社員旅行の時にはよくあることだが、ディナーは全員でワイキキでの予約があり、その時間が迫っていたのだ。

ランチ後の休憩時間も半分にしたが、人数が多いとそれぞれの見学時間も長くなり、どうしても全体の時間が長くなってしまう。

私自身は終了の時間はあまり気にしないのだが、特にこの時期は日が短くなって暗くなるのが早い。

最後のダウンタウンでの見学などは、車内で資料がほとんど見えないなんていう状況もあるので、削ってワイキキに向かったのだ。

しかしH-1フリーウェイでは渋滞に引っかかって、ちょっと焦った。


夜になってシャワーが降り出した。



2011年11月21日

チャーターツアー

今日も社員旅行のグループのチャーターツアー。

この数日雲が多いお天気で、雨に当たらない事だけを祈って出発した。

まずはノースショアに向かう。

カリヒ付近でいきなりシャワーになったが、パールハーバーが見えてくると止んだ。

早朝にはH-1フリーウェイとH-2との合流付近で大きな事故があったようだが、我々が通る頃にはすっかり片付いていた。

ドール・プランテーションを過ぎると、ノースショアには低い雲はほとんど無く、所々ハイクラウドも切れていた。

まだ人の少ないハレイワ・タウンを抜けてアリイ・ビーチパークに到着。

ここではトリプル・クラウンの一つ、「リーフ・ハワイアン・プロ」サーフコンテストが開催中。



しかし今日は中止。



何しろ波が無い。




まあこれは予想していた事なのだが、海で遊びたいと言うお客さんのリクエストだったので、波も無く人も少ないのは好条件。

モンキーポッドの木陰にラグを引いて陣取る。



今日はボランティアの清掃日のようだった。



2時間ほど海遊びをしてから「マッキーズ」に移動してランチ。

ちょうどお昼時で、日本人の団体がテーブルを占領していたが、上手くスペースを見つけた。

その後はモアナルア・ガーデンに向かう。



巨木からエネルギーを貰った。




最後に少し戻ってパールシティーの「49er」と言うレストランへ向かう。



私は初めて行ったのだが、日本で、とんねるずの番組で紹介されたらしい。

本当に近所のローカルしか行かないような小さな店なのだが、我々が入っていくと日本語メニューが出てきた。

しかもかなりボロボロで、日本人旅行者が少なくないようだ。

「イシイさ〜ん」と言って、見せてくれたのがこれ。



書いてあるのは「きたな美味い店」・・・。

まあ確かにお世辞にも「綺麗」な店と言う雰囲気ではないが、「きたなくて、美味い店」と言うことなのだろう。

私は初めて知ったが、何気に有名な番組らしい。

さらに賞状もあった。




番組でも紹介されたと言う「49erパンケーキ」がこれ。



実は日本語メニューには「フォーティーライナー」と書かれていた・・・。

バナナパンケーキにハウピアソースとマカダミアナッツがかかっているのだが、結構美味しかった。

元々私は「ハワイで何故パンケーキ?」と言う意見の持ち主なのだが、カイルアの「ブーツ&キモス」が激混みになった今、ここはさらにディープなお店となりそうな気配もする。

まあパーキングは4台しかないし、狭い店なので、どれほど流行るかはわからないが、ワイキキの有名店のように、観光客が増えて改装したら味が落ちたなんていう事にはならないで欲しい。

汚いと言うより古い店なのだが、店員の愛想は良く、ローカルたちが食べていたサイミンや、ガーリックチキンも今度食べてみたくなった。

ワイキキに戻って、今日は6時間のチャーターだった。



2011年11月24日

「LOST」ファンツアー・謎のスティーブ

早朝にはシャワーがあり、天気予報はバラバラだったが、朝のワイキキは晴れていた。

マノアに向かい「パラダイスパーク」のパーキングに車を入れると、今日もスティーブ君がいた。

またお客さんに紹介して、腕のタトゥーを見せてもらおうと思ったら、「今日はもっと凄いのを見せてあげるよ〜!」と言って背中を出した。



なんと大きなダーマ・イニシアティブのロゴに、ダーマ・バス、そしてベンジャミン・ライナスの顔が彫ってある!

首の近くには「108」と象形文字。

LOSTを知らない人にはさっぱりわからないと思うが、全てドラマに登場するアイテム。

実はスティーブはロスティーには有名なタトゥー・ガイらしい。

なかなかゆっくり話す時間が無いのだが、今はドラマより謎が多い人物。

一体何故そこまで・・・?


さて、マノアのジャングルには青空が見えた。



トレイルに入っていく人も多かった。

セットはまだそのままの状態で、撤去されたりしていなかった。





しかし「テンプル」はまた少し崩壊が進んでいた。




ワイアラエ、カハラを抜け、カラニアナオレ・ハイウェイを走ってラナイ・ルックアウトに移動。

良く晴れていたが、沖にはうっすらとモロカイ島が見えただけだった。



マカプウを回ってウィンドワード・サイドに出る。

ベロウズビーチは雲がトレードウィンドに流れていた。




カネオヘに移動してウィンドワード・コミュニティー・カレッジの校内を回り、ヘエイアケアの港を見て、ワイアホレ・ビーチパークで、真っ赤なカネオヘ湾を見る。



続いてクアロア公園で休憩。

雨季に入って緑が眩しい。




ノースショアも天気は良かったが、水溜りが多かったので、早い時間は降っていた様だった。

波はサンセットで5〜6フィート。

チャンズリーフも綺麗な波が立っていた。

パパイロアビーチの砂は歩きやすかった。




ハレイワの「マッキーズ」でランチの後、ノースショア・マーケットプレイスで休憩し、カエナ岬に向かう。

モクレイアビーチでは既に陽がワイアナエ山脈の裏に隠れていた。



「キャンプ・アードマン」にはキャンパーの子供のグループがいたが、我々が入っていくと、ゾロゾロと移動して静かになった。



カエナ岬をUターンする頃には辺りは薄暗くなってきて、ワヒアワではもう真っ暗だった。

フリーウェイの混雑も終わっていてスムーズにダウンタウン・ホノルルまで来た。

「セント・アンドリュース教会」で写真を撮って、ワイキキに戻った。



2011年11月25日

神社仏閣ツアー

雨季に入りここ数日、シャワーは朝晩に集中し、昼間は晴れ間も広がる安定した天気になってきた。

トレードウィンドは気持ち良いが、少し強くなると涼しく感じる季節。

今日も清々しいお天気の中、神社仏閣ツアーに出発。

最初の「石鎚神社」は四国に本社があるのだが、今日のお客さんは数ヶ月前まで四国にお住まいの方で、本社は険しい山の上にあり簡単には行けないそうだ。



「厳島神社」の鳥居の周りを回って、「マキキ・キリスト教会」へ行くと、パーキングの工事中だった。




「ハワイ金刀比羅神社」には日本人の姿が多かった。



しかし「ハワイ出雲大社」はもう普通の日本の神社並みに日本人の参拝者がいた。

天野宮司はいらっしゃらなかったが、社務所に「ヌシカン」の文字の入ったゴルフボールが飾られていた。




「チャイナタウン・カルチャル・プラザ」で観音様にご挨拶のあと、飲茶のランチ。



食後は「本派本願寺」へ。

今日は本道の中央に白い紙の帯が敷かれていて、これから日本人カップルの結婚式が行われるのだそうだ。



キリスト教なら「バージン・ロード」の様な物。

かつては毎年4万組もいた日本人のハワイでのウェディングは今も1万5千組はいるそうだが、ほとんどがキリスト教式の結婚式で、多くの日本人が仏教徒であるのにお寺で挙げる人が少ないと、ご住職の牧野先生が嘆いていた。

続いて「ハワイ大神宮」。

鳥居の門柱、この狛犬、そして灯篭の3対は戦前の米軍に接収される以前からのものだそうだ。



隣の「ヌアヌヴァレー・パーク」でのんびり休憩。

パーキングのパンノキを見上げる。




そしてコオラウ山脈を越えてウィンドワード・サイドへ。

東側も天気は良かった。

「平等院」で気持ち良く鐘を突く。



今日は人が少なく、さらに静かだった。


K-ZOOラジオを聴きながらホノルルに戻り、「ホノルル・メモリアルガーデン」の三重塔と京都ガーデンを見学。



最後は「真言宗ハワイ」。

お守りご希望のお客さんのために、ご住職の坂本先生がオフィスにご案内して下さり、奥からネコちゃん登場。



コロコロしてた。


2011年11月27日

妻を娶らば〜1、離婚

--久しぶりに「雑感」カテゴリーを作り、プライベートなことを書きます。--


1、離婚

2度目の離婚から6年が過ぎた。

昔の日本では離婚した人のことを「国賊」と呼んだ事もあるそうだが、21世紀のハワイでは「バツ2」に驚く人もいない。

日本でも私の友人にでさえ離婚経験者は少なくない。

と言っても、私が小学校の時に、クラスメートで両親が離婚している人なんてまだ他にいなかった時代。

実は私は、親も、その親も離婚をしている、離婚家族に育った。

まともな(何が「まとも」かわからないが)夫婦って言うのが周りに少なかったため、余計にちゃんとした夫婦に憧れたのである。

結婚願望は強かったが、女性との付き合いは2年以上持つことが少なく、20代は住む場所の移動が激しかったので落ち着くことは無かった。

アメリカで暮らそうと言う意思を持っても、アメリカ人女性とはいろいろ文化面で合わない事が多く、特に食事に関しては辛かった。

LAにもハワイにも日本人女性は多く住んでいるが、私が知り合った女性のほとんどが既にアメリカナイズドされていて、友人としては問題なくても、残念ながら女性として魅力を感じることは無く、自然と日本在住の女性との遠距離恋愛が多くなった。


ハワイに来て旅行会社のマネジャーをしていた時、日本人旅行者の女性と知り合い、後に最初の結婚をした。

この頃はまだ自分の子供が欲しいと思っていたが、彼女とは子供を含めた生活が想像出来なかった。

これは若気の至りだったかもしれないが、結婚生活は長持ちせず、別れる事になった。


離婚に使うエネルギーは相当な物で、体調を崩したり、仕事も上手く行かなかったりと、散々だった。

しばらく女性恐怖症気味にもなり、お客さん以外の女性と上手く会話が出来ないなんていう時期もあったのだが、「バツ1」と言う肩書きは意外にも受けが良く、もうこのままずっと独身でいようかと考えたこともあった。


しかし今度は自分の会社の仕事が忙しくなってくると、パートナーが欲しくなった。

そんな時に出会ったのが、日本でキャリアウーマンをしている女性だった。

ハワイで個人経営で、長続きしているツアー会社のほとんどは夫婦で協力して仕事をしていて、私も今度は仕事が一緒に出来るという点で、同じ目標を掲げられるのではないかと思い、2度目の結婚に踏み切った。

しかしこれは大失敗で、色々な優先順位を完全に間違えていた。

そしてこの結婚も長続きはせず、私は「バツ2」になってしまったのだ・・・。


--続く


2011年11月30日

「LOST」ファンツアー・最後のダーマ・ビスケット

ここ数日朝晩の風が涼しくなり、家を出る時にシャツを羽織っているが、ワイキキのホテルを回ってお客さんをピックアップルすると、既に身体は温まりTシャツ姿に戻る。

マノアの住宅街の奥に入っても、道路は濡れていなかったので、そのまま歩き始めるとやがてポツポツと降り始めてしまった。



「パラダイスパーク」に入る前に傘を取り出したが、時期に止んだ。

「オーキッドステーション」を見て、「ハイドラステーション」の「シロクマの檻」を見に行く。



すると「ソーヤの檻」の、「フィッシュ・ビスケット・フィーダー」のあった場所辺りに何かあるのに気付いた。



よく見るとジップロックの中に、魚の形をしたビスケット!

しかも「ダーマ」の文字!



袋には「最後のダーマ・フィッシュ・ビスケット」(ドクター・チャン)と書いてある。

ドラマの中でソーヤが齧っていたビスケットとは若干雰囲気が違うが、ちゃんと「ダーマ」の文字を入れて焼いてある。

ドクター・チャンも「LOST」のキャラクターだが、一体誰が置いたのだろう・・・??


ワイアラエからカハラを抜ける頃は晴れ間が覗いたが、カラニアナオレ・ハイウェイを東に走るとまた雲が広がった。

それでもコオラウ山脈の稜線はハッキリ見え、東海岸の天気は期待できたが、ラナイ・ルックアウトからは雲の中に薄っすらとモロカイ島が見えただけだった。



東海岸はやはり良いお天気だった。

マカプウビーチには4〜5フィートの厚い波が寄せていた。

ワイマナロのベロウズビーチも素晴らしい色だった。



ワイアホレから少しまた雲が出てきたが、もうシャワーに遭う事は無かった。



クアロア公園では今日も日本人のウェディング・フォトセッションが行われていた。




ノースショアは8〜12フィートと言う波の予報があり、サンセットビーチではトリプル・クラウンの大会が開催されていて、付近はサーフトラフィックで渋滞した。

パパイロアビーチは干潮の時間で岩が随分露出していた。




ランチと休憩のためにハレイワに移動すると、サーフコンテストが終わる前だった様で、街の中は閑散としていた。

カエナ岬に移動すると風が強くなってきた。

モクレイアビーチも人はいなかった。



「キャンプ・アードマン」には今日も子供たちの声が聞こえた。




パイナップル畑を走っている頃から空は暗くなり始め、ダウンタウン・ホノルルでは真っ暗。

「セント・アンドリュース教会」では月が見えた。






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